悪縁を断つ寺 鎌八幡 総集編 1話〜5話 :: デイリーSKIN

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[2008年12月18日00時00分00秒]
悪縁を断つ寺 鎌八幡 総集編 1話〜5話

今回は今までのまとめになります。

次回更新は1月の予定になります。



(ライターFT)

 
『悪縁を断つ寺 鎌八幡 昨年の続き 総集編』




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┃『霊魂の存在とは』
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幽霊や霊魂と呼ばれているものに対しての考え方ですが、実はオレ、無宗教です。一応、実家にはお仏壇や神棚なんかはあり、実家に行くとまず、お仏壇や神棚に手を合わせます。しかしそれくらいでこれと言ったような宗教活動はしていません。

どちらかと言うと、宗教活動に対しては無関心な方だと思います。中でも一番、嫌いなのが宗教の勧誘です。勧誘されると強く拒否してしまう癖があります。でも、実際ではお寺や、そう言った場所に行って ”お祓い” をして貰った経験も多数あります。

中でも一番、強烈だった ”お祓い” 経験と言うのが



     ”縁切り“

 
だと今でも思ってます。


 ”縁切り” また物騒な事を、と、思うかも知れないですが、人間の


  ”想い”


と言うものは様々な現象を引き起こす可能性を秘めています。

例えば、誰かを強く殺したいと思った時、その人が亡くなったり、悲惨な目に会っていたなんて話を聞いたことあるかと思います。

なるべくなら、そんな風に想うのは避けた方が良いかと思います。

しかし人間が生きている以上、何らかのトラブルはつき物ですね。

もし、そうなってしまった場合はどうすれば良いのか?

一番、良い方法としては ”忘れる” のが最良の方法だと考えてます。でも、特に恨みつらみといったものは中々忘れる事が出来ないものですよね。どうしても自分の頭の中から ”恨み” ”ねたみ“ ”殺してやりたい衝動“ に駆られてしまった場合、どうしたら良いのか?

結果から言いますと、ズバリ、解決策はあります。

それは一体どんな方法なのでしょうか?

先にも書きましたが ”縁切り“ が効果的なんです。

それもその人(恨んでいる人と縁を切るのではなく)と縁切りするのではなく、自分が思ってしまった腹立たしい事や、殺してしまいたいと思った考えと縁を切るのです。

人間どうしても極度の精神状態(恨みつらみ等)に陥ってしまった時と言うのは、ロクな考えが浮かばないものです。恨んでいる人を何とかして陥れてやろうとか、いっそ、殺してしまおうか!なんて人として一番してはいけない行動に走る人も少なくはないはずです。



そんな行動は、一番愚かな行動とも言えます。

しかし極度の精神状態に追い込まれた人は、いくら冷静になれと言っても中々難しいものです。

では、そんな時はどうすれば良いのか?


悪縁を断つ寺 鎌八幡
http://www7.ocn.ne.jp/~enzyuan/


 数年前、人を殺したい衝動に激しく駆られた。

そいつを切り刻み、踏みつけ、メチャクチャにしてやりたいと本気で思った。自分でも驚くほどの殺意だった。

数え上げればキリがないほどの嫌がらせや仕事上の扱い。

人を人として扱わないその人の態度。

周りにいる誰もがそいつのことを ”殺してやりたい“ と思ったことは多々あるようだ。しかもその人と言うのは父の4番目の奥さんだった。俗に言う ”継母” と言うやつだ。

当時、父親の経営する工務店で働いていたオレは仕事上の事であまりに理不尽過ぎることをその継母に要求され、とうとうブチ切れてしまった。

事務所をメチャメチャに破壊し、そばにあった大きなパキラ(観葉植物)の鉢を持ち上げ、気がつくとその人の頭めがけて振りおろそうとしていた。

すんでのところで仕事を終えた職人さんが帰って来たので、職人さん数人に取り押さえられ、植木鉢を振り下ろさずに済んだ。



何があったか理解出来ない職人さん達は、その人の人を人と思わない接し方に対し、オレと同じような気持ちでいた。

その辺りを理解してくれていたので、職人さん達はは大柄なオレに殴られながらも、必死になって止めてくれたのだ。

事が収まっても怒りが爆発しっぱなしのオレは、どうにもこうにも激しい怒りは収まらない。

見かねた職人さんの一人が、車で自宅までオレを送ってくれている時に、

『FT、腹立って仕方無いのは分かる。怒りも収まらんのも分かる、でもいつまで怒っとるつもりや?人間、怒りっぱなしやとロクな考えおこらんぞ!明日、わしに付き会えや!』


普段から冗談ばかり言っている仲の良い職人のおっちゃん、おっちゃんはそう言い、次の日、大阪のあるお寺に連れて行ってくれた。

大阪市天王寺区空清町にある小さなお寺で名前を ”鎌八幡” と言う。

周りには小さなお寺から大きなお寺まで、お寺がかなりの数集まっている地域だ。上町台地と呼ばれる地域で、大阪でもそこそこ有名な地域なのだ。

境内は小さく、門をくぐると、すぐに本堂がある。その横手にさほど大きくない御神木が立っている。御神木の前には賽銭箱、横手にはお線香と蝋燭立、後ろにはおびただしい数の絵馬が奉納され、絵馬を結び付ける場所も用意されている。

注意書きを見ると


『絵馬に書かれたものは絶対に読まないで下さい』


そう注意書きが記されていた。

そして振り返り、それほど大きくない御神木をあらためて見て心臓が止まるかと思った。


ーおびただしい数の鎌が御神木に突き刺さっているー


夏場なのに背中に走る寒気。

驚くほどに立つ鳥肌。

写真撮影禁止と書かれた看板

まるで脳天からつま先まで電気が走るような感覚に襲われた。

ホームページを見て頂ければイラストが描かれているが、まさにその通りの状態なのだ。

中には錆びて朽ち果てそうな鎌や、こんな上にまで突き刺さった鎌、根本までグッサリと突き刺さった鎌、まさに鎌、鎌、鎌、なのだ!



きっと突き刺した人の恨みや想いの深さが鎌の深さにも比例するのだろう。常識では考えられない程、根本まで突き刺さっているものまであるのだ。

一体、どれくらいの時間、その場に立ち尽くしたのだろう。
気がつくと、職人のおっちゃんに促され、お寺の本堂へと案内された。

http://aoihimiko.fc2web.com/osaka_uemachidaichi.htmlこちらのブログに画像が貼られています。

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┃『悪縁を断つ寺 鎌八幡 2』
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職人の ”おっちゃん“ に促され、鎌八幡本堂に連れていかれた。
出迎えてくれたのは気のよさそうなごく普通のお寺の住職。その横には住職の奥様らしき方も一緒に迎えてくれた。60代の気のよさそうな2人だった。



『どうも。お久し振りです。』

職人のおっちゃんは住職に軽く挨拶をかわす。
横にいるオレの背中に手を添え、一歩前に出るように促す職人のおっちゃん。されるがままに一歩前に出て無言で住職夫妻の前に立ち尽くすオレ。

『まあ、上がって詳しいお話、聞かせて頂けますか』

優しい物言いで住職が声をかけてくれた。

プライベートな事なので詳しい内容は書けないが、住職にそう言われたオレは、どこから話していいのやら迷っていた。業を煮やした職人のおっちゃんが切り出した。

『こいつ、義理の母親を殺そうとしましたんや!まあ、物騒な話なんやけど、こいつの気持ちとわしの気持ちはほぼ一緒でんねん、恥ずかしながら』



住職と奥様は古びたソファーに腰掛け、対面に座っているオレと職人のおっちゃんの話に耳を傾けてくれた。一通り話を聞き終わった住職は、人間の真理について話してくれた。

『事情はよく分かりました。この話はどこにでもある話ですな。しかし我慢にも限界ってものがあります。彼は限界を超えただけの事、今はどうですか?殺してやりたいと思う気持ちはまだ残ってますか?』

住職はこう言って話を続けた。



『自分だけがなんでこんな目に遭うんやろと君は思てますわな、でも、誰しもが一度は思う感情ですねん、はっきり言ってこれくらいの事、人間我慢せなあきまへん、こう言った事を乗り越えて人間成長して行きますのや、どないでっか、我慢出来まへんか?』

自分自身では我慢の限界をとうに超えていたのだが、住職にこう言われたオレは内心、恥ずかしく感じてきていた。自分の我慢の限界が人よりも少ないのでは無いだろうか?そんな事を考えていた。

しかしもう一度今までされてきた事を考えなおすとさらに腹が立ってきていた。自分では結構我慢強い性格だと思っている、実際にかなりの我慢をしたつもりでいる。横で職人のおっちゃんが一言付け加えてくれた。

『こいつはかなり我慢しました。傍で見ていたわしも見てられんほどですわ!』

そう言って住職にオレが言えなかった事を代わりに職人のおっちゃんが付け加えて住職に話してくれた。その話を聞いた住職は眉間に皺をよせながら静かに口を開いた。

『仕方ないですな、そこまで言われたら何とか考えなあきまへんな。ただ、うちではその人と完全に縁を断つと言うことはお勧めしまへん。』

住職の話を要約するとこう言うことだった。

恨みや妬み、怒り、そういった力はあまり大きくしない方が良い。
義理の母と言えどもこうして戸籍上一緒になってる事は何かしらの ”縁” があっての事、その ”縁“ を自ら断ち切る事は仏の真理に反する事。



だから義理の母との縁を切るのでは無く、自分自身の負の力と縁を切りなさい。それなら私もあなたの力になれます。

との事だった。

おかしな話、住職に事情を説明している最中、どういった訳か涙が止まらなかった。話ながら嗚咽するほどだった。住職の優しい表情、横にいる奥様の親身になって聞いてくれていると言う本気の態度が伝わってきていたのかも知れない。とにかく話ながら自分の感情的には怒っているにも関わらず涙が止まらなかった。

住職曰く、

『あんたの殺してやりたいと思う気持と縁を切りなさい

オレにとってはこの住職の言葉が全てだった。
この方法以外無いとも感じた。そしてこの方法が最善の方法だとも感じた。




では、一体どんな事をするのだろう?

御神木に鎌を打ち込むのか!




そうでは無かった。
御神木の前に連れて行かれ、手を合わせるように言われ住職はお経のようなものを読み上げだした。

静まり返る境内、線香の香りが体にまとわり付き、住職の読み上げるお経のようなものがオレの体を包み込むような感覚とでも言えば良いのか、明らかにお経とは異なる。

後で職人のおっちゃんから聞いた話なのだけど、この時、 ”祈祷” をしていたようだった。

祈祷を終え、住職に細かい説明を聞き、これからは最低月に一回、この御神木に自分の恨みや殺してしまいたいと言う衝動が無くなるまでお参りしなさいとの事だった。

泣いたせいもあってのことか、祈祷して貰った帰りはすっきりとした気持ちだった。職人のおっちゃんには感謝してもし切れない程の感謝の感情まで芽生えてきた。

どうやら住職の言う通り、オレの考えが甘い考えだけの事だったのだろうか?祈祷して貰う前と後では雲泥の差だ。

例えるなら、飲みすぎて極度の二日酔いの状態から清々しい気持ちに一瞬でなったような感じと言えば良いのだろうか、それほど心は清々しかった。


職人のおっちゃんに、何故、あの寺の事を知っていたのか帰りの車の中で訪ねた。するとおっちゃんはあまり触れられたくないような感じだったが、静かに話してくれた。

『今から30年くらい前の事や、わしな、人殺した事あるんや』

横で聞いていたオレは驚きを隠せなかった。


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┃『悪縁を断つ寺 鎌八幡 3』(ライターFT)
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縁切り寺である、鎌八幡で祈祷をして貰った帰り、車中で ”職人のおっちゃん” がとんでもない告白をし始めた!


『今から30年くらい前の事や、わしな、人殺した事あるんや』

 助手席で話を聞いていたオレは驚きを隠せなかった。
普段は気の良い職人のおっちゃん、真面目で几帳面、腕の良い大工らしく、仕事は完璧にこなす。職人のおっちゃんこと、山内修二(仮名)通称、修さん61歳は過去の話をポツリポツリと運転しながら話し始めた。

『わしが24の時や、宮崎から出てきたばっかりの時や、大工の仕事を見つけるために大阪に出てきたんや』

 
 話を聞くとこう言うことだった。


 当時、師事していた大工の棟梁に進められ、大阪の業者に呼ばれ大阪に出てきた修さん。大工は中学を卒業してすぐに職人の道を選んだようだ。大阪に出てきてしばらくすると、努めていた会社が2年後に倒産し、修さんは路頭に迷った。もちろん給料は出ない。

 大阪の事情がよくわからなった修さん、同僚の大工と一緒に、西成のセンターに通い、その日暮らしの生活を数か月送っていた。酒好きな修さんにしてみれば大工仕事と酒さえあれば良かったようだ。

http://ag-skin.com/daily/skinblog.cgi?mode=2&sn=3西成あいりん労働者センターレポート


 ある時、センターで朝早く、日雇いの仕事を貰うために並んでいると、建設会社の手配師から声がかかった。数日間、同じ現場で仕事があるらしく、これから朝早くセンターに並ばずに、その建設会社の寮に入る事も決まり、修さんはやっと日雇い生活から解放される事を喜んだようだ。

 元々、腕の良い大工職人(宮大工)だったので、修さんはその建設会社から大事にされていたようだ。

 1年位経った時、行き付けのスナックのホステスさんと仲良くなった修さん、順調に交際も進み、そろそろ会社の寮から出て独立も考えていた矢先の事だった。

 行きつけのスナックは建設会社の同僚や専務達もよく行っているスナックで、どうやらこのスナックのママと言うのが、ここの建設会社の社長の愛人だったようだ。このスナックでホステスとして働いていた女性が修さんといい仲になった。

 ポッチャリして色白で修さんだけでなく、職人連中はこのホステスにみんなが夢中だったようだ。その中でも修さんが人気の彼女をGetしたようで周りからは羨ましがられていた。ただ一人の職人を除いては・・・

 その職人と言うのが、修さんに激しくライバル心を持っており、宮大工出身の腕の良い修さんに仕事でも色々とぶつかり合っていた。元々、この建設会社にいる棟梁の一番弟子で、そこそこ腕も良かったようだけど、宮大工出身の修さんには敵わない。しかもこの建設会社の棟梁も入社してすぐの修さんの仕事ぶりに惚れこみ、絶大な信頼をされていた。

 一番弟子であるその職人はいい気持ちがしない。それどころか修さんを逆恨みするようになっていった。この建設会社では修さんとその職人は自然と犬猿の仲になっていった。

 修さんも行きつけのスナックのホステスと一緒に住み始めて1週間程した夜、夜中の2時には帰ってくるはずの彼女が3時になっても帰ってこない。朝まで待っても帰ってこない。店に迎えに行っても店は営業を終えており誰もいない。心配になった修さんは辺りを探しまくった。夜も明けて来たので一旦、アパートに戻り、心配だったが仕事もあるので会社に向かった。

 会社に近づくと、会社の倉庫(道具等を保管している場所)の前が人だかりになっている。しかも警官まで数人いる。修さんの脳裏に嫌な予感がよぎった。

 まさか!

 すでに会社に来ている職人連中や、会社の専務、社長まで警官と話をしている。気が気でなかった修さんは仲の良い職人を捕まえ、何があったか聞いた。

『一体、何の騒ぎや!』

 すると同僚の職人は言いづらそうに言葉にならない。修さんは半ば怒り気味に同僚の胸ぐらを掴み問いただした。

『リョウコちゃんが、リョウコちゃんが殺されたんや・・・』

 リョウコちゃんと言うのは修さんとよい仲になったホステス。
帰ってこないはずだ。同僚や警官が遮る手を振りほどきながら倉庫に入る修さん、まだそこに愛する女がいる。

 かけられた毛布をめくると、そこには死体となったリョウコが凄惨な姿を晒していた。

 顔面は腫れあがり、衣服は引き裂かれ、足の付け根部分からは多量の出血が見られた。すぐに抱き起そうとするも警官に止められ引き離される修さん。

『誰や!誰がこんな酷い事をしたんや!誰や!』

 その場で叫ぶ修さんだったが、すでに言葉を語らなくなったリョウコ。周りの職人と警官に押さえつけられたまま、修さんは叫び続けた!


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┃『悪縁を断つ寺 鎌八幡 4』(ライターFT)
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 修さんが一緒に住み始めた彼女、リョウコは殺害されてしまった。
それもひどい殺害のされ方だった。

 散々、暴行を受けた挙句、何度もレイプされたようだった。
リョウコの陰部は裂傷が激しく、顔面は原型が無くなるほどに殴られていた。死因は頭部の激しい打撲による頭蓋骨骨折。

 Mはすでに指名手配されていた。

 修さんが最初に疑ったのが対立していた職人のMだった。
もちろん、周りにいる誰もがそう思っていた。職人Mの行方は分からずじまいだった。警察の調べでも間違い無いようで、修さんは血眼になってMを捜した。

 修さんは仕事も辞め、Mの行方だけを必死になって追い求めた。
Mには母親と中学生になる息子がいた。修さんはずっと母親と息子を見張り続けていた。修さん本人もオレに言っていたが当時は復讐しか頭になかったようだ。

 『必ずMを八つ裂きにしてやる!』

 修さんにはそれしか考えられなかった。

 精神はすでに崩壊していた。
Mの実家に張り込むこと、約2か月、昼の12時を過ぎた時、ひょっこりとMが姿を現した。修さんはMが実家の扉を開くその時を目がけて、隠し持っていた包丁を力の限りMに振り下ろした。

 後ろから力の限りMの首筋目がけて包丁を突き立てた。

 Mは鈍い声を上げ、振り返る事も出来ずに前のめりに倒れた。その倒れたMの背中にまたがり、何度も包丁をMの背中に振り下ろした。淡々と包丁を振り下ろす修さん、14か所、Mは根本まで包丁を突き立てられ絶命した。

 Mの母親が警察に連絡したらしい。その場で修さんは現行犯逮捕されてしまった。

 修さんは逮捕され、裁判で懲役8年の刑を言い渡され、徳島県の刑務所に収監された。

 異変がおこったのは刑務所に収監されて1週間程経った時だった。夜、眠っていると横で寝ている囚人が寝言を言いだした。不思議な事にその寝言と言うのが修さんしか聞こえない寝言なのだ。次の日、寝言を言っている囚人の隣の囚人、つまり修さんとは反対側に寝ている囚人に聞いても、


『そんな寝言は聞かなかった』


と言うのだ。

 しかもその間、修さんは金縛り状態で全く動けないと言うのだ。

 その寝言と言うのが


 『首と背中が焼けるように痛い、お前何かやったのか?』


 それを1時間ほど繰り返すのだ。
寝言を言っている本人にも聞いたのだが、身に覚えがないと言う。その寝言は毎日続いた。あまりに不気味なので担当の刑務官に事情を説明するのだが、もちろん聞いてもらえない。

 昼の刑務は木工所で作業していた修さん、かなりの寝不足になっていた。ある時、ちょっとした事故で人差し指を軽く怪我した修さん。傷は少し深めだったがそれほどでは無い。縫う傷でもなかったが、傷口がいつまでたっても塞がらずに膿まで出始めた。ようやく治りかけたのは1年程してからだと言う。

 大阪に出てきて修さんを慕ってくれていた友達が月に一度、手紙を書いて送ってくれていた。修さんはそれが刑務所での唯一の楽しみだった。その友達からの手紙に不思議なことが書かれていた。

 Mの母親と息子は事件があってから、完全に姿をくらましていたが、ある時ひょっこり、修さんの友人(手紙を送ってくれていた)の前に姿を現した。Mの母親と息子が一緒にだった。友人の前に姿を現したMの母親はまるで別人のようだったとの事。どういった訳かMの母親は友人の前で、薄気味の悪い笑みを浮かべながら一言も喋らなかったらしい。

 かわりにMの息子が荒んだ表情で、友人にまくし立てるように言った。


 『あいつのせいでひどい事になってしもたやんけ!お前も同罪やぞ!地獄に送ったるからな!』

 
 事件当時は中学生だった彼も今は17,8歳になっている。
大柄だったMには似ずに、中学生の頃と背丈は変わらなかったようで、栄養が足りていないのか、目だけが大きくギラギラし、体はやせ細り、肌の色もどす黒い感じだった。

 その手紙を最後に、友人からの便りは途絶えてしまった。

 修さんは獄中から友人に向け手紙を送ったが、何度送っても音沙汰は無かった。やはり横で寝ている囚人は相変わらず同じ寝言を繰り返していたようで、修さんの金縛りも取れるどころか強くなっていったようだ。

 そんな生活が2年ほど続き、修さんは精神的に参っていた。
獄中で修さんが唯一の楽しみだったのが読書だった。その頃から修さんは怪奇現象などを詳しく書いた本を読み漁っていた。その結果、修さんが出した結論と言うのが ”呪い”だった。

 基本的に修さんは田舎出身の人なのでそういった話は信じていた。
友人からの最後の手紙から察するに、Mの母親と息子が何らかの呪いをかけているのではと考えていたようだ。

 冬になると毎年必ず高熱にうなされる修さん。
その時に見る夢とも幻覚とも取れる中で必ず登場するのが、小汚い少年と薄気味の悪い老婆だった。修さんはそれが変わり果てたMの母親と息子だと言うことは理解していたが、監獄の中ではお経を唱える事くらいしか出来なかった。

 6年が過ぎた冬、修さんに仮釈放が下りた。
ようやく娑婆に出れる修さんだったが、体はやせ細り、頬はこけ、癌に侵されてしまっていた。 



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┃『悪縁を断つ寺 鎌八幡 5』(ライターFT)
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 刑期を終え、出所した修さんは生まれ故郷である宮崎に戻り、自分の犯した罪の償いをしようと考えていた。愛する人を殺害されてしまい、怒りに任せて自分が取った行動を後悔していた修さん。

 何の罪もないMの息子と母親の行方をまず探し、謝罪しなければならない。そう考えていた修さんは獄中にいる時、病気で亡くなった母親の保険金があった。その保険金の全てをMの息子と母親に渡そうと考えていた。

 修さん自身も肝臓癌という病にかかってしまった。酒が好きだった修さん、刑務所にいる時から不眠、軽い幻覚等に悩まされていたようで、自分が犯してしまった事件と何かしらの因果関係があると見ていた。

 大金を持って再び大阪に戻ってきた修さん。
修さんを慕い、ずっと手紙を送り続けてくれた友人も行方知れずだった。友人を探す為、元いた建設会社の職人に友人の行方を聞いたのだけれど、だれも行方を知る者はいない。もちろんMの息子と母親の行方も分からずじまい。

 取りあえず、大阪で住む場所を決めなくてはならない。
幸い、母が残してくれた保険金がある、それで安いアパートを借りた。

 それから一週間もしないある日の事、相変わらず不眠が酷く、熟睡出来ていない修さん、毎晩おかしな夢を見ていた。あの夢だった。

 小汚い少年と薄気味の悪い老婆が出てくる夢だった。
何をする訳でもない、ただその二人がじっと寝ている修さんの枕元に立ち、じっと見つめていると言う夢。



 ある時、アパートにいると、天井からパキッ、パキッ、っと大きな音がする。おかしいと思った修さんは押入れの天井裏をこじ開け、懐中電灯で屋根裏を調べた。

 ネズミやイタチがいたずらしているのかと思っていたが何もない。
よく天井裏を調べてみると、何やら大きな袋のような物が中央付近に釘で四隅を打ちつけられ、さらに中央に特大の五寸釘が打ち込まれていた。



 不思議に思った修さんはその袋に打ち込まれた釘を丁寧に抜き、袋の中を開いてみた。

 中には人の形をした紙の人形があった。

 特大の五寸釘が打ち込まれていた個所はちょうど肝臓あたりだった。
しかもその裏に書かれていた文字を見て修さんは驚愕した。


 山内修二(仮名)


 そう書かれていた。

 驚いた修さんはその袋を持って近くのお寺に持って行った。

 そのお寺では処理し切れないとの事で、大阪市内の玉造にあるお寺を紹介されたのだ。

 そのお寺と言うのが ”鎌八幡” だったのだ。

 全てを住職に打ち明けた修さん。
これはただごとでは無いと感じた鎌八幡の住職はこのお寺で供養し、悪縁を断ち切る儀式を住職に薦められた。

 儀式は壮絶を極めたようだ。

 袋に入れられていた人の形をした紙は ”紙人形(かみひとかた)“形代(かたしろ)とも呼ばれる、人の身代りとされる呪物で、日本古来からある呪いの方法だったようだ。



 古来、紙はとても貴重とされていたようで「紙」は「神」に通ずる事から、人々は紙に霊威が篭っていると考えたようだ。住職によるとかなり念が強く籠った方法との事だった。

 本来は悪縁を絶つために使用されるおまじないに使用するらしいが、これを呪いに使用するのはとても危険な行為だと住職は話してくれた。

次回は木曜日に総集編2!











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