1970年に公開されたヒットしたモノ :: デイリーSKIN

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[2019年02月15日00時00分00秒]
1970年に公開されたヒットしたモノ



(ライターFT)

1970年に公開されたヒットしたモノ


 19670年代、大阪万博が開催され、72年はミュンヘンオリンピックが開催され、オイルショック、ブルースリーが死去、アメリカではウォーターゲート事件が起こり、75年にはベトナム戦争が終結し、モントリオールオリンピックが開催され、アップルコンピューターが設立され、中東ではイラン革命が起こり、マザーテレサがノーベル平和賞を受賞したりと激動の10年でした。



 1970年の興行収入No1の邦画は「戦争と人間 第一部 運命の序曲」という史実を基にした歴史大作になります。史実を基にしているだけで、完全に内容はフィクションです。

 当時はベトナム戦争もあり、反戦映画が非常に流行った時代でもあります。共産党を正義の党として描いていたり、徐在林などの在満朝鮮人共産主義者の暴動を、日本の帝国主義に対する正義の闘争として描いていたり、かなりの反戦映画で、左翼的な物語。

【解説】
「人間の条件 第1・2部」「人間の条件 第3・4部」「人間の条件 完結篇」の原作者、五味川純平が現在なお執筆中の同名大河小説の映画化で、第二次大戦突入期の満州を舞台にくりひろげられる複雑多岐な人間群像ドラマ。

【あらすじ】
昭和三年。新興財閥伍代家のサロンでは、当主伍代由介の長男英介の渡米歓送会が開かれていた。
その場には由介の実弟喬介、由介の長女由紀子、次男俊介、伍代家の女中頭で由介の妾であるお滝、部下の矢次など一族身内の者のほかに、金融家市来善兵衛、陸軍参謀本部の佐川少佐、その部下の柘植進太郎中尉など常連客が招かれていた。
話題は期せずして、張作霖打倒のため蒋介石が北伐をはじめた満州の状勢に集まった。


戦争と人間 第一部 運命の序曲(映画)/年代流行より抜粋

 ハリウットでは「新・猿の惑星」が興行収入No1になり、ミュージカル映画である「サウンド・オブ・ミュージック」という名作が生まれました。

 「猿の惑星」では、人間の愚かさを描き、人間の奢りに対して警鐘を鳴らす秀作でした。「サウンド・オブ・ミュージック」は恋愛・ファミリー、そこに隠れた戦争というテーマを軽快に描き、当時、子供ながらに感動した記憶があります。



 70年代に流行したヒットソングは、皆川おさむの「黒猫のタンゴ」という曲です。40代以上は聞いたことがあると思いますが、子供が歌っている曲です。

 すでにドリフターズも 人気で、ドリフのズンドコ節もヒットしていました。



 海外ではビートルズの「レット・イット・ビー」がヒット、すでにビートルズの人気は世界的な人気で、不動の地位を獲得していました。

 70年代に入ると、ハードロックという新しいジャンルも登場し、ディープ・パープルや75年にはクィーンもヒットし、音楽業界は複雑化してゆきます。

日本では76年ごろ、「およげ!たいやきくん」やユーミンの「あの日にかえりたい」というヒット曲が生まれています。

 アリスやゴダイゴなど、ニューミュージックと良ばれたジャンルも登場し、アイドルではピンクレディが大人気になった時代です。

 79年にはTBSで「3年B組金八先生」も始まり、中学生の妊娠や家出事件やリンチ事件をテーマに大人気となったドラマでした。

 ルパン3世もこの頃に放映開始されています。



 若者達の流行のヘアスタイルは、アイロンによる熱によるパーマ、パンチパーマが一世風靡、サーファーカットがヤンキー以外の人たちにも人気になります。



 ビーバップハイスクールという80年代に人気だったコミックの映画で登場していた人物も、パンチパーマがトレードマークだった、「立花商業高校」のNo.1である菊永淳一(通称:菊リン)は、2018年に51歳という若さで亡くなったそうです。

 70年代、経済でも活気があり、50年代から70年代前半にかけて高度経済成長と言われた時代です。

 いい時代だったとですね。











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