差別用語は消えるべきなのか :: デイリーSKIN

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[2019年01月23日00時00分00秒]
差別用語は消えるべきなのか



(ライターFT)

差別用語は消えるべきなのか


 昔の小説を読んでいると、現在では使わなくなった言葉が非常に多い。

 最近はテレビでもBPOなどが規制を広げ、表現の自由をも脅かしているのではないかということもよくある。差別用語というのは、その対象者を蔑むという意味が込められている。

 差別用語を隠し、その言葉をなくせば差別は無くなるのか?

 差別用語を気にしすぎることで、人間の心の中にある偏見が表に出る場合も現代では多くなっているのではないか?



 夏目漱石の小説を読んでいると、かたわ、めくら、ちんば等の現在では完全に禁止された言葉のオンパレードである。

 当時の社会では、社会的弱者に対しての配慮に欠けていたというのは事実だろう。

 しかし、「坊ちゃん」を読んでいても、主人公は教師で、曲がった事が大嫌いで正義感の強い人物像が描かれている。腐敗した権力に立ち向かい、世の中の理不尽なことに対してNOを突きつける痛快なストーリーとなるが、差別用語はかなり普通に多い。

 しかし、当時はこれが普通だっただけであり、かたわの人を現在で訳すれば、身体障害者という言葉に変わる。



 なぜ、カタワという言葉がいけないのか?

 例えば、戦争で片腕を失った人を「カタワ」と昔の人は言っていました。

 それは、当時、身体障害者という言葉がなかったら、身体障害者の呼称を「カタワ」と読んでいたのです。



 差別とは、

 「お前みたいなカタワがいるからダメなんだ」

 なんていう、差別的な気持ちで、この言葉を使うと、その人の根本的な問題から話が身体的な特徴にすり替わり、「カタワ」だからダメなのだということになってしまうのです。

 言葉を変えていってみると、

 「お前みたいな身体障害者がいるからダメなんだ」

 気持ちが辛辣だと「カタワ」も「身体障害者」も同じなのです。

 「めくら」も「視覚障害者」も連想するのは特殊な存在というイメージです。

 過去の文豪たちの、そのままの言葉を今、当時の人たちの風俗を感んじながら読書をするのは非常に面白いと思うのだが、近年ではその言葉も現代風に置き換えられ、当時の風俗が感じられなくなるのは非常に残念でならない。



 先日、ある女性ハローワーク職員と話をする機会があり、話の中で「ドカタ」という言葉が出ました。その人は建設作業員をバカにしている訳ではなく、ドカタという言葉が普通に頭にあっただけだったと思います。

 ハローワーク職員が「ドカタ」って・・・

 一瞬、そう思いましたが、別に不快な思いはしませんでした。それはその職員に悪意があると感じなかったです。



 「ドカタ」を「建設作業員」と、言い換えることが適切なのかを考えてしまいます。

 現場で働く人のことを、昔は「ドカタ」のおっちゃんと呼んでいたのは事実なのです。

 「お前はドカタくらいしか仕事はないわっ」

 「あなたは建設作業員しか仕事はないでしょう」

 同じ意味で、同じように嫌な言い方です。

 使う人の感情で、受け取り方も違います。

 古い言葉にフタをしないでほしい。

 もちろん差別はいけない、でも差別用語と呼ばれている言葉を何も考えずに否定するのはやめたいと思います。名曲にフタはしてはいけない。












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