インドという不思議な国2 :: デイリーSKIN

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[2018年10月31日00時00分00秒]
インドという不思議な国2



(ライターFT)

インドという不思議な国2


中国よりインドの方が期待できる理由として、「世界最大の民主主義国家」と言われています。連邦議会選挙と州議会選挙が定期的に実施され、その結果にもとづいて政権が樹立されるという、民主主義の「手続き」の部分が機能しているということです。中国にはそれがない。

 しかしインドは宗教上、人々の自由や平等、社会正義が実現されているとは言い難い国でもあります。不可触民(アンタッチャブル)と言われている人達は、特に農村部では2018年の現在でも非常に迫害とも言える扱いを受けている。特に貧富の差は日本どころの話ではない。

 経済学者達はインドを早過ぎた民主化と揶揄し、中国を遅過ぎた民主化と言っている程。

 それくらい民主化の遅れと現状経済は開きがあるということになります。

 中国とインドにおける国民の政治的権利と市民的権利の比較


 早すぎたインドの民主化と遅すぎた中国の民主化 より引用

 インドはイギリスの植民地でした。

 1857年にインド大反乱という反イギリスレジスタンス運動が激化しました。イギリス植民地時代はインドとパキスタンがイギリス支配をされていましたが、宗教的にヒンドゥー教のインドとイスラム教のパキスタンと分離し、独立しました。1947年のことです。

 インドの独立には壮絶な戦争が背景にあり、独立までには長い道のりを経ての民主主義獲得だったことは日本人はあまり知らないですね。

 インドは親日国家としても期待できる一面があります。

 インドの独立には二人の人物がキーポイントになります。

 一人はガンジーです。

 そして非暴力だけでは独立は勝ち取れないと考えた人物、スバス・チャンドラ・ボース(1897−1945)がいます。「独立のためには、外国の武力が必要」と考え、武装闘争を選択します。



 チャンドラは当時、イギリスとの対立関係を明確にしていた日本に目を向けます。

 武力が独立の鍵と考えたチャンドラは日本に接触を図ります。日本は表向きは知らんぷりを決め込むのですが、密かにチャンドラを援助します。インパールやビルマで英国軍と戦った勇敢な日本軍をインドは同志と考えていたのです。日本とインドは英国の植民地政策に抵抗し、アジアを開放するために戦った戦友と感が得ているのです。

 インドが親日と言われているのは、お互いの利害が一致したことが大きな要因と言えます。

 ビジネスとしてはまだまだ先かもしれないインドですが、すでに世界の経済人達はインドに注目しています。そして天才や秀才が多いインド人達、今後の日本との関係も無視できない国であることは間違い無いですね。












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