世界遺産にいこうかと!姫路城編 :: デイリーSKIN

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[2018年07月07日00時00分00秒]
世界遺産にいこうかと!姫路城編



(ライターFT)

世界遺産にいこうかと!姫路城編


 姫路城と言えば、平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれるお城です。



 江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、国宝や重要文化財に指定されたお城になります。

 1333年に護良親王の命により挙兵。京に兵をすすめる途中、姫山に砦(とりで)を築いたのがキッカケです。それから13年後の1346年に本格的な城を築き始めます。赤松 則村(あかまつ のりむら)という鎌倉武将が最初に砦を築きますが、当時は姫山という地名でした。その砦を則村の息子である貞範が城に改修しますが、この辺りまでは姫山の城という名称でした。

 姫路城の簡単な歴史は以下の通りになります。

元弘三年頃(1333)
赤松則村:姫山に城柵をめぐらして砦みたいなものを築く



 こんな感じのようです。


正平元年頃(1346)
赤松貞則:貞村の次男・貞範が姫山に城みたいなものを築城


正平四年頃(1349)
小寺頼季:貞範は庄山城を築いて移り、小寺氏が守る


嘉吉元年(1441)
山名持豊:山名氏、赤松氏を滅ぼして播磨守護となる


応仁元年(1467)
赤松政則:赤松氏復活! この時、本丸、鶴見丸、亀居丸を築く


文明元年(1469)
小寺豊職:赤松政則は置塩城を築き移ることになったので小寺氏が守る


天文十四(1545)
黒田重隆:小寺氏は家臣の黒田氏に姫路を任せ御着城に移る


天文十五(1546)
この年に孝高(官兵衛)生まれる


永禄十年(1567)
黒田孝高:高(官兵衛)が黒田氏の当主になる


天正八年(1580)
羽柴秀吉:織田信長から中国地方制覇の命を受けた羽柴秀吉に孝高は姫路城を献上する


天正九年(1581)
この年に三層の天守を築いたとされる


天正十一年(1583)
羽柴秀長:秀吉は大阪城を築いて移ったので弟の秀長が在城


文禄四年(1595)
木下家定:秀長は大和郡山城に移ったので、秀吉正室・北政所の兄である木下家定が入城


慶長五年(1600)
池田輝政:関ヶ原合戦の戦功で池田輝政が三河国吉田(現在の愛知県豊橋市)より姫路に移る


慶長六年(1601)
輝政が城郭大拡張工事を開始


慶長十四年(1609)
五層の大天守が完成!


慶長十八年(1613)
池田利隆:輝政が病死。長男の利隆が跡を継ぐ


元和二年(1616)
池田光政:光政が父・利隆の跡を継ぐ


元和三年(1617)
本多忠政:光政は因幡鳥取に遺封。忠政が伊勢桑名より入城


元和四年(1618)
家康の孫・千姫が忠政に嫁ぐ。この時、化粧櫓などを築造


寛永十六年(1639)
松平忠明:本多氏は大和郡山に移封。松平氏が入城


慶安元年(1648)
松平直基:忠明の子・忠弘が出羽山形に転封。松平直基が城主に。


慶安二年(1649)
榊原忠次:榊原氏が陸奥白河より入封


天和二年(1682)
本多忠国:本多氏が福島より入封


宝永元年(1704)
榊原政邦:榊原氏が越後村上より入封


享禄十七年(1732)
榊原政岑:榊原政岑(まさみね)が遺領を継ぐ


寛保元年(1741)
松平明矩:榊原氏は越後高田へ移り、松平氏が陸奥白河から入封


寛延二年(1749)
酒井忠恭:酒井氏が上野前橋より入封。これ以後、明治維新まで酒井氏が姫路城主となる


明治元年(1868)
酒井忠邦:この年、明治維新。翌年に版籍奉還となる


昭和三十一年(1956)
大天守などの解体修理を行う


平成五年(1993)
ユネスコ世界文化遺産に指定される


平成二十七年(2015)
およそ五年に及ぶ平成の大改修が終了
 
 ではいつから白鷺城と呼ばれる程の、美しいお城になったのでしょう。

 天守閣と呼ばれるお城が作られたのが、1500年ごろと言われています。

 黒田官兵衛が城主だったこともあり、官兵衛はあっさり秀吉に献上、秀吉は館のようだったこのお城を作り直し、3層の城を城築します。関ヶ原後、池田輝政が城主になり、9年の歳月をかけて 秀吉が築城した3層の姫路城を現在の5層7階の城に大改築し、現在の原型と呼ばれるようになりました。



 姫路はあまり雪が降らないのですが、雪景色の姫路城は素敵ですね。

 現在の原型となる姫路城を作った池田輝政が入城してから、怪奇現象が頻発します。

 ●夜半の子の刻になると、太鼓の音が鳴り響き、悪鬼が目撃される
 ●台所の大釜の上に切り取られた腕が発見される
 ●ある家臣が白昼、傘を差して歩いているところ、突然空中に引き上がられた。
 ●約3mもあろうかという毛むくじゃらの腕につかまれ、投げつけられて悶絶死した家臣がいた。
 ●女中が何人も行方不明になった。
 ●枕元に身の丈3mもの巨大な坊主が女中の枕元に立っていた。 

 城主の池田輝政自身も、鬼に脅されるなどの怪奇現象に見舞われます。

 多分、統合失調症だったのでしょう。

 現在でいうところの精神疾患です。

 姫路城で有名なのは「更屋敷」ですね。

 約450年前の室町時代中期、姫路城執権の青山鉄山(てつざん)は、城を乗っ取ろうと、城主を増位山の花見の宴で毒殺しようと企て、それを察した城主の忠臣、衣笠元信(きぬがさもとのぶ)は、愛人であるお菊を鉄山の屋敷に奉公させて企みを探らせ、鉄山の息子小五郎から父の陰謀を聞き出しました。

 この知らせを聞いて元信は、花見の宴で城主を毒殺しようとする鉄山の陰謀を阻止することができました。その後もお菊は、鉄山の屋敷で動向を探り続けていましたが、鉄山の同士町坪弾四朗(ちょうのつぼだんしろう)に気づかれてしまいます。

 ところが、以前からお菊に好意を持っていた弾四朗は「黙っている代わりに自分のものになれ」とお菊に言い寄りました。しかし、お菊はその条件を聞き入れず、弾四朗に折檻されます。それでも強情に言うことをきかないお菊を憎らしく思うようになった弾四朗は、ある日、お菊が預かる家宝の十枚の皿うち一枚を隠してその罪をお菊に負わせ、ついにお菊を切り殺し庭の井戸に投げ込みました。

 それからというもの夜ごと井戸の底から悲しげな女のか細い声で
 「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚・・・・・」
と皿を数える声が聞こえるようになりました。
そのお菊が投げ込まれた井戸がお菊井戸だと言われています。



 実際にあったお話かは不明です。

 歌舞伎の演目になり、日本全国に広まって行った怪談噺が本当のところです。

 根拠になる話はきっとあったのでしょう。

 とにかく美しいお城です。

 一度は行っておきたい観光名所ですね。


 





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