3.11は日本人にとって忘れられない日になった。
本来なら3月11日にお届けするべきだったかも知れません。
(ライターFT)
3.11 忘れられない日
今でもはっきりと覚えています。
ここ大阪でも大き目の揺れがありました。
TVを見ていて事の重大さが次第に判明していきました。
信じられない大津波、原発水素爆発、その爪跡は今でも深く刻まれたままだ。
避難者いまだ31万人、不明者捜索続く 11日に追悼式
東日本大震災は11日、発生から2年となり、日本列島は祈りの日を迎えた。死
者
約1万6千人に上った戦後最悪の自然災害だが、いまだに約2700人の行方が分か
らず、捜索活動が続く。がれきの処理が半分終わり明るい兆しは見えるものの、東京
電力福島第1原発事故による影響も続き、31万人以上が避難生活を余儀なくされて
いる。
未だに続く地震、被災者に渡らなければならないはずの復興資金問題、原発処理
などの問題は山積みのまま。
これからどうしていけばいいのかも分からない。
しかし復興にかける思いは強い。
その思いが形になっている。
わたしたちにできること
わたしたちにできることを考える、それが復興の早道かも知れない。
国や自治体に文句をいうなら、まずできることをやろう。
完全に復興するまでもうしばらく、前を向いて歩きたい。