正しくないラフティングのやり方 :: デイリーSKIN

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[2007年01月05日00時00分00秒]
正しくないラフティングのやり方

 椿さんの代筆です。

 来週から椿さんが帰ってきますよ!

 今週は、オレの昔の話をまとめてみました。

 
 
 正しくないラフティングのやり方

 
 本気で死ぬと思った事が何度かある。

 知り合いのNZ人やアメリカ人達と京都にある『保津川下り』をした時の事だ。『保津川下り』は別名、激流下りと呼ばれており、木製の舟を船頭さんが上手くあやつり、観光地で有名な『嵐山』までのスリルのある遊びだ。

 保津川下り


 朝の6時に大阪駅に集合し、京都の亀岡あたりで降り、保津川の上流付近で持ってきたラフティングボートにエアーを入れる。その時にラフティングするメンバーは日本人や外国人を含め12.3人いた。しかし、ラフティング用のボートは6人乗りだ。



 一体、どうやって乗るつもりだろう?



 するとニッキーと言うアメリカ人がにこやかに片言の日本語で、『男の子はこのボートにのてください』と大きなリュックの中から”SEA BREEZE”と書かれた2人乗りのボートを手渡された。良く見ると、懸賞で当たったと思われる景品のボートだった。リュックの中からはそんな感じのゴムボートが後3つほど出された。



 ラフティングの知識なんて全く無かった。当時のバンドのVoがスタジオで練習の後、『明日、激流下り行かへん?』とのお誘いがあり、当時のバンドのメンバーのもう一人のGと3人で参加した。まあ、単純に考えていた訳だ。


”SEA BREEZE”と書かれていたゴムボート以外のボートは人が座る部分に合板が敷かれてあった。要するに補強してあった。オレは不思議に思いニッキーに聞いてみた。


まさに”SEA BREEZE”号はこんな感じのゴムボートだった!

 『なんで”SEA BREEZE”号には板が敷いてないの?』



 するとニッキーは『Oh!シンジ、君は泳げないのか?』と聞いてきた。オレは何を行ってやがる、泳ぎはメチャ得意!と自慢げに言ってやった。するとニッキーは『それなら”SEA BREEZE”号にのてね、ニッキーは泳ぎは上手くないから大きいボートに乗りたいデ〜ス』と言った。



 仕方なく、オレとVoが”SEA BREEZE”号に乗る事になった。ボートを膨らませ、待機しているとニッキーが『コレ、わたしておきマ〜ス』と言い、渡されたものは自転車のパンク修理Setと携帯サイズの空気入れだった。


自転車のパンク修理Setと携帯サイズの空気入れ

 細かい事に無頓着なオレはパンク修理Setが気になったけど構わず川に”SEA BREEZE”号を浮かべ乗り込んだ。3日間、雨が降り続いた後だったようで水量はかなり多かったようだ。ラフティングの知識なんて全く無かったオレとバンドのメンバーはそんな事は全く気にせず、キャッキャ言いながらボートに乗りんで持ってきた缶ビールを開けた。


缶ビールはスーパードライだったように思う

 一番最初に進み出したのはラフティングする為のボートだ。6人乗りだったけど何故か8人乗っている。このボートには女の子が3人乗っていて、後の5人は日本人2人、NZ1人、アメリカ人のニッキーとジョンが乗っていた。すでに電車の中でビールを飲んでいたジョンは完全に酔っ払っていた。


酔っ払いのイメージ

 最初は心地よく進み出した。オレもVoも酔って来ていたので晴れ渡る天気と山の空気が気持ち良かった。早起きして良かったと心の底から思った。少し前方を見ると、流れが急になっている所が見えてきた。オレとVoはワクワクしてきて、完全にテンションが上がり切っていた。流れが急な所に差しかかると、



      『キャッホ〜〜イ』



 なんて奇声を上げて喜んだ!しかし、流れは急だけど川底は極端に浅い。急な流れの所ではかなりケツが痛い。痛いと言うより完全に苦痛だ。ゴロゴロした大きな石がオレとVoのケツを襲う!中腰になるとバランスを崩すので中腰になれない。この浅瀬を後どれくらい超えなければならないのだろうと考えると、オレとVoは完全にテンションが下がりきってしまった。



 後でVoに聞いた話によると、ニッキーが全部ボートを手配していたらしいのだが、急に3人(オレ、Vo、G)が参加したので急遽”SEA BREEZE”号を用意したとの事だった。前日にVoがニッキーに参加表明した為、合板を貼り付ける時間が無かったようだ。後のボートは浅瀬でも耐えれるように合板が貼ってあった。しかもVoが”SEA BREEZE”号のサイズをニッキーから聞いて合板を切って持ってくるように言われていたらしいのだけれど、めんどくさがり屋さんのVoはオレには何も言わなかった。


 テンションが下がりきっていたオレとVoはいい加減、ケツが痛すぎてウンザリしてきた。しかし、川を下って行くうちに、3日続いていた雨の影響もあり、水量は十分過ぎるくらいになってきた。激流の箇所もかなり少なくなって来ている。と、思った。前方を見ると、緑色の水の流れが白と茶色に変わって来ている。ど素人のオレでも”SEA BREEZE”号では無理と言うのが分かる程の激流だ。


まさにこんな感じの激流だった・・・

 前方を見ると、ニッキーが『ヤバイヨ〜!アガレ〜!』と”SEA BREEZE”号に向かって叫んでいる。しかし、ラフティングに対する知識なんて全く無いオレとVoにとってどうやって岸にたどり着いたらイイのかさえ分からない。しかも酔った勢いで片方のオールをVoは流してしまっている。残ったオールを必死で漕ぐのだけれど、左にしか回らない。確実に激流は近づいて来る。ボートを捨て泳いで岸に上がろうと考えたけどすでに川の流れは尋常では無い。



 オレは腹を決めた。横でVoはパニックになっている。”SEA BREEZE”号にしがみ付き、激流に挑んだ!しかし、一瞬で転覆した。自然の力はウコンの力なんて及びもしない、そんな洒落を言っている場合では無い。前も後ろも右も左も関係ない。上だ!上に上がるのだ!しかし流れが早過ぎて上がれない。息がもたない。苦しい!大きな岩が体中にぶち当たる。痛い、激痛だ。



 直感で『死』を本気で覚悟した。覚悟した瞬間、あれだけもがき苦しんだのがウソのように楽になった。今までの出来事が走馬灯のように流れてゆく。幼稚園の頃、隣の席の女の子と局部を見せあった事、のぼり棒を登って性に目覚めた事、ストリップの思い出ets・・・って、エロばっかしやないかい!!!

走馬灯

 実際の激流の長さは50mくらいだったので、すぐに足がつく所に届いたので事無きを得たのだけれどオレとVoはかなり水を飲んでいた。大きな岩にしがみつきながらゲホゲホ咳き込んでいた。苦しい!助かってもなお苦しい。あのまま楽になっていたらきっと死んでいただろう。


まさにこんな状態に・・・

 それから『保津川下り』の用具を入れている小屋を発見した。幸い、誰もいなかったのでライフジャケットを勝手に拝借し、ボロボロになっていた”SEA BREEZE”号をパンク修理Setで修理し、何度も死ぬ思いをしながら終点の『嵐山』に着いた。



 嵐山に着くと、流れは穏やかでカップル達が楽しそうに、白鳥のボートのペダルを漕いでいた。オレたち12.3人の多国籍軍はみんなボロボロだった。女の子たちは化粧が剥がれ、疲労困憊の表情だった。男連中もNZ人以外はボロボロになっていた。白鳥のペダルボートのカップル達を横目に着いた時は皆で歓喜の叫びを上げた!


このスワンボートを見た時は歓喜の雄叫びが!

 みんな三途の川を渡りかけていたようだった。自分の事でせいいっぱいだったので他の奴の状況が全く分からなかった。帰りにみんなで飯を喰った時に、一緒に行ったメンバーの死にかけたエピソードを聞いた。どれも凄まじかった。



 Voはケツが紫色に変色していた。Gに関しては後日、咳をすると痛いと言うのでレントゲンを撮ると、肋骨にヒビが入っていた。ニッキーは肩を脱臼していた。ジョンは飲みすぎと転覆を繰り返し、憔悴しきっていた。NZ人だけは元気だった。


これはキンピラ

フラフラになったオレに『おぼれチンピラっ!おぼれチンピラっ!』と叫び、笑い転げていた。オレの顔がチンピラ顔だと言うのだ!




 ラフティングに行ったメンバーたちは皆同じ事を口にした。『怖かったけどまたやりたい!』つぎに行く時はラフティングの知識を入れ、完全防備で行こう!と



 生死を彷徨った者だけが味わえる”充実感”だった。
皆が生きている実感を共有できた奇跡の時だと思っている。



※このお話は随分、昔の話です。
絶対にこのような無謀な事はしないように!
保津川では毎年、死亡事故が後を絶ちません。














🌟とにかくセクシーなMUSIC PV ニッキー・ミナージュ ケツを自在に動かせるスンゴイ技

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