空前の龍馬ブームらしいぞ!7 :: デイリーSKIN

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[2010年12月10日00時00分00秒]
空前の龍馬ブームらしいぞ!7

(ライターFT)

 空前の龍馬ブームらしいぞ!7



 ついに薩長同盟も本格始動し、明治維新に向けて動き出しました。

 第4部からは龍馬が死ぬまで約1年となります。

 幕末を駆け足で駆け抜けた坂本龍馬の今後に注目ですね。




(ライターFT)

 龍馬伝第4部スタート!


 “福山龍馬”暗殺犯はだれ? 配役に自薦他薦の激しい売り込み

 まだ第4部がスタートしたばかりで龍馬暗殺の犯人の売り込み合戦も始まっているようで、視聴者としては誰が龍馬暗殺の犯人を大河ドラマで描くのかも興味深い。

 どうやら京都見回り組の暗殺説を大河ドラマでは採用するようで、中でも誰がその役をするのかが気になりますね。

 では実際の龍馬暗殺については未だに謎が多く、長州説、薩摩説など多くの暗殺説が推測されている。

 このあたりの説はまた大河ドラマの終了間際に特集でやりたいと思いますが、

 かなり面白い説が沢山あります。

 話は第4部に戻りますが、蒼井優がいいですね。

 そして高杉役の伊勢谷友介、見ていて切なくなるほどの好演ですね。



 今回の清風亭の対決では龍馬と後藤象二郎が和解をする歴史的な出来事が起こる回となります。

 これを期に、象二郎と龍馬の和解が歴史的に実現するのですが、武市先生に実質上切腹を命じたのは後藤象二郎なのです。

 実際の龍馬と、象二郎の会談は、龍馬伝で描かれていたような物々しい会談ではありませんでした。

 象二郎の叔父である吉田東洋暗殺に関与したとされる過去など、土佐勤皇等がらみの龍馬。(実際には龍馬の関与はありません。)



 実際にはこうしたお互いの過去には一切触れず、古くからの旧友だったかのような穏やかな会談だったそうです。

 大政奉還というゴールに向け、土佐藩と龍馬、歴史の流れもあり、利害が一致した龍馬と象二郎、そして山内容堂。

 大政奉還に向け、象二郎の役割は非常に大きな役割だったといえます。

 象二郎がいなければ大政奉還までこぎつけるのにはもっと時間がかかったかも知れない。

 第4部、1回目の放送でも龍馬と木戸(以前の桂小五郎)が大政奉還について論議する場面がありましたが、大政奉還という無血革命を成し遂げる難しさはこの回である程度の説明がなされていたと思います。



 大政奉還とは政権を握っていた徳川幕府が、朝廷に政権を返上するというものになります。

 この大政奉還は龍馬だけの考えではなく、幕末以前から考えられていたことでもあり、いよいよ徳川幕府がどうにもならない状況の中、勝 海舟など、幕臣の協力などもあり、江戸城無血開場となったんです。

 話は龍馬と象二郎の会談に戻りますが、

 この頃、龍馬率いる亀山社中は経済的にかなり厳しい状況でした。

 この窮地を救うのが、後藤象二郎となります。

 岩崎弥太郎が長崎に出向き、土佐の産物などを売り込んでいました。

 これを援護するかのようなものが亀山社中を母体とした土佐海援隊になります。



  この商いとも関係が深くなるのですが、土佐海援隊の結成となります。

 武田鉄也の海援隊ではありませんよ(笑

 この頃、象二郎が龍馬の脱藩の罪を帳消しにもしました。

 龍馬は脱藩を2度、許されたのです。

 龍馬伝とは少しイメージが違う後藤象二郎。

 とにかくこの人なしでは龍馬のなし得た大政奉還も簡単にはなし得なかったことだけはいえるかと思います。
 
後藤象二郎



 第41回放送ではついに高杉さんがこの世を去りました。

 幕末は若くて有能な人物がバタバタと命を落とします。

 中でも龍馬と高杉さんの死は歴史上でも悔やまれる死なのでは

 ないでしょうか?

 

 歴史でもしもという言葉はあまり使いたくありませんが

 もしもこの二人が生きていたら、と思うと

 また少し違った歴史になっていたかも知れませんね。


(ライターFT)

 龍馬伝  面白きこともなき世を面白く

 高杉晋作という人物



 高杉晋作、とても魅力的な人物です。

 そして高杉を演じた伊勢谷友介がとてもいい演技を見せてくれました。

 まるで本物の高杉さんのように感じました。

 龍馬伝の演出家、大友啓史のオススメシーンでもあると龍馬伝HPに記載していました。

 高杉さんは西暦1839年 8月20日 山口県萩市萩城下呉服町、通称菊屋横丁で産声を上げました。

 幼名は春風、18歳の時、吉田松陰の元で松下村塾で学び、ここで高杉の人生の方向が決まったともいえる。



 翌年、龍馬と同じく江戸遊学を果たす。

 幼少の頃はあまりの自由奔放ぶりから家族には

 「この子は、まともな大人になれないのではないか」

 そう思われていた。

 吉田松陰の塾、松下村塾を久坂玄瑞と一緒に訪れるのだが、司馬遼太郎の
『世に棲む日日』には以下のように物語として書かれている。



 松陰はうなずき、ふたたび顔を伏せて高杉の文集を読んだ。

 やがて顔をあげ、最初にいったことばは、高杉が終生わすれられぬところであった。

 「久坂君のほうが、すぐれています」と、いうのである。

 高杉は、露骨に不服従の色をうかべた。

(おもったとおりだ) と、松陰はおもった。

 人を見る目が異常にすぐれている松陰は、この若者が、
裏へまわってここへ入ってきた最初から、尋常でない男がやってきた
という感じがした。

 ふてぶてしいというわけではないが、渾身にもっている異常なものを、ところどころ破れてはいても行儀作法というお仕着せ衣装で包んでいる。それも、やっと包んでいる。

 奇士が、二人になった。 と、松陰はおもった。

 「松下村塾の目的は、奇士のくるのを待って、自分(松陰)のわからずやな面を磨くにある」

 と、かねて友人たちに洩らしている自分の塾の目的にみごとにかなった人物が、久坂のほかにいま一人ふえたという思いが、松陰をひそかに昂奮させている。


 異常という表現をされているが、高杉は金の使い方を公私区別つけないほどに使いまくった。

 豪快な人物なのは間違いない。



 吉田松陰が処刑された時、高杉は萩に戻っていた。

 正確には戻されていたんですが、

 その知らせを受けた高杉は子どものように号泣したそうです。

 それほど、松陰の存在は高杉にとって大きかった存在といえます。

 松陰の処刑を境に、倒幕という思いが固まったのも事実なんです。

 そしてとにかく気まぐれな性格で周囲の人々を困らせていたのも事実。

 江戸遊学の際も船で旅立ったのですが、極度の船酔いに悩まされ、勝手に船を降り文学と剣術の修行に切りかえたいと、藩政府に願い出るのだけど、あまりのわがままぶりに許可されず、帰国を命じられてしまう。


こんなのがあれば良かったかも(笑

 ただ、帰国の際、東北で剣術修行だけは認められ、そこで出会った武士や学生と、自分の教養の差を感じ、帰国後は、三年間自宅にひきこもって読書をすると言い出し、また周囲を困らせていた。

 まだこの頃の長州藩は倒幕や尊王攘夷には染まってはいなかった。

 当時からこのような考えを持っていた高杉や桂小五郎などは藩内でも少数派の存在だった。

 その少数派を尊皇攘夷、倒幕一色に染め上げたのが高杉と言える。

 では、高杉は長州をどのように倒幕一色に染め上げたのだろうか?

 ここでも高杉の思想に深く影響してくるのが吉田松陰なんです。

 元々、高杉は身分の高い武士の生まれ、この時代、大体身分の高い武士というのは身分に物凄くこだわります。それが当たり前の時代でしたし、身分が当時の世界を全て取り仕切っていた思考ともいえます。




 その身分の垣根を取り払って作ったのが奇兵隊になります。

 土佐の吉田東洋も身分の低い武士を起用しましたが農民や商人などは起用しませんでした。

 全ての身分制度の垣根を越えたのが高杉がした一番の功績ではないでしょうか?

 吉田松陰の教えを実行した人物といえます。

 情勢を見る目に長けていた高杉

 龍馬伝でも詳しく描かれていましたが、高杉の行動はその速さにあると思います。

 幕府による攘夷運動が始まると、長州征伐がはじまる寸前に藩を素早く脱出。

 長州藩の家老が責任を負わされ切腹させられる中、時期を密かに待つ高杉。

 そして薩摩の動向などを素早く察知し、当時の薩摩藩が幕府と距離を置こうとした情報など、その時の情勢を冷静に分析していました。

 そして第二次長州征伐が始まると長州に帰り、幕府に従う家臣達から藩政を奪還する為、伊藤俊輔率いる力士隊、及び遊撃隊の僅か80名を従え、下関を占領、そして軍艦を奪うことに成功する。




 この時、高杉は奇兵隊の総督の任を解かれていたが、その時の奇兵隊総督である、山県狂介も重い腰を上げ奇兵隊を引きつれ、高杉の下に向かう。


山県狂介

 このあたりはかなり面白いんです。

 高杉さんがやったことはクーデターなんです。

 藩内のクーデター。

 この高杉が行ったクーデターで長州藩は再び倒幕、尊王攘夷と見事に藩内を一色に染め上げてしまった。

 「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、 衆目駭然として敢えて正視するもの莫し。 これ、我が東行高杉君に非ずや」

 この句は後の初代総理大臣、伊藤博文が高杉をあらわした句になります。

 


 龍馬伝でも描かれていたように、高杉はまだ生きていたかった。

 海外を遊学したくてたまらなかったようで、明治維新もその目で見たかったはずだと思います。

 慶応三年四月十四日、辞世の句を残し、静かに息を引き取りました。

 「おもしろき こともなき世を おもしろく」

 高杉さんは本当に面白い人物です。

 わがまま気まま、放蕩ぶりはまさに豪快。

 きっと長州を倒幕、尊王にすることが彼の天命だったのかも知れません。

 龍馬も同じく、高杉さんの死後、7ヵ月後に暗殺されるのですが、大政奉還が決まっていたとはいえ、その大政奉還を見ることなくこの世を去ることになります。

 きっとこの幕末の英雄二人はあの世で明治維新を見ていたはずと思います。




 10/24放送の龍馬伝、感動でした。

 実際はどうあれ、龍馬の今まで学んできたことや、感化されてきたことを龍馬流に解釈し、見事な策を練ったのではと思います。

 ドラマの持っていき方も見事でした。

 中岡慎太郎に船中八策を見せたときの場面はドラマを見ていて熱くなる思いでした。


(ライターFT)

 大河ドラマ 龍馬伝 船中八策


船中八策 原文

一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。
一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。
一、有材の公卿・諸侯及(および)天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。
一、外国の交際広く公議を採り、新(あらた)に至当の規約を立つべき事。
一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。
一、海軍宜しく拡張すべき事。
一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。
一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。
 以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内(うだい)万国に徴するに、之を捨てて他に済時の急務あるべし。苟(いやしく)も此数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、万国と並立するも亦敢て難(かた)しとせず。伏(ふし)て願(ねがは)くは公明正大の道理に基(もとづ)き、一大英断を以て天下と更始一新せん。


 今まで龍馬が感じてきたこと、学んできたきたことをうまくリンクさせドラマは進みました。

 この頃、情勢はまだまだ幕府よりの情勢でした。




 桂や高杉、勝、などの考え、河田小龍などの学者の教えをうまくまとめ、当時の武士としては革新的な考えだったと思います。




 諸説、色々といわれていますが、この船中八策は龍馬の原案が濃厚という説が有力なようです。

 ドラマでもこうした未来の日本を見据えた思想が、よく描かれていたと思います。

 龍馬伝もついにクランクアップしたそうでHPを見ると、福山龍馬以下、演じきった爽快な表情が印象的です。

 そして10/24の放送でも出てきていましたが大久保利通の存在が気になります。

 龍馬伝では、龍馬暗殺の実行役は新撰組と、スタンダードな方法を取るようですが、最近の研究では龍馬暗殺に深く関わっているのが薩摩藩ではないかという研究もあります。


大久保利通

 最近の研究では、龍馬は薩摩のスパイだったのではという説も出ている。

 あくまでも推測なのですが、その推測の元になるのが薩摩藩の「桂久武日記」という中に「坂本を行かしむる」という記述がよく登場する。

 「禁門の変」で幕府の弱さが露呈、このまま薩摩が幕府との協力関係を続けることに意義を唱える薩摩藩士も多くなり、西郷をはじめ、倒幕に傾いたのは自然の流れかも知れない。

 そこで勝から頼まれ、長崎に身を寄せていた龍馬をうまく使ったのかも知れない。竜馬伝でも薩摩は龍馬達にどこか冷めた対応をしているように感じる。

 大河ドラマはこのあたりの描写は詳しい説明は無いにしろ、演じる役者の雰囲気などで表現しているように思います。

 薩長同盟は実は薩摩の戦略だったと言う説になります。

 これは薩摩と龍馬達の思惑が合体して利害が一致したとも取れます。

 龍馬はもしかしたらそれを受け、スパイとして工作活動をしていたかも知れません。

 そしてスパイだったということを薩摩は維新後も知られたくない為、龍馬を暗殺した可能性も考えられます。




 亀山社中を運営する上で活動費などは薩摩が援助していました。

 最近の研究では龍馬が薩摩のスパイだった説が研究されています。

 そしてそれを悟った長州も龍馬暗殺に関わっている可能性もある研究者は推測している。

 『龍馬の暗号 最後の手紙に隠された謎』  作家 加治将一


歴史ミステリー 『 龍馬の黒幕 』 Vol.1  作家 加治将一


歴史ミステリー 『 龍馬の黒幕 』 Vol.2  作家 加治将一











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