龍馬伝 面白きこともなき世を面白く 高杉晋作という人物 :: デイリーSKIN

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[2010年10月25日00時00分00秒]
龍馬伝 面白きこともなき世を面白く 高杉晋作という人物

 第41回放送ではついに高杉さんがこの世を去りました。

 幕末は若くて有能な人物がバタバタと命を落とします。

 中でも龍馬と高杉さんの死は歴史上でも悔やまれる死なのでは

 ないでしょうか?

 

 歴史でもしもという言葉はあまり使いたくありませんが

 もしもこの二人が生きていたら、と思うと

 また少し違った歴史になっていたかも知れませんね。


(ライターFT)

 龍馬伝  面白きこともなき世を面白く

 高杉晋作という人物



 高杉晋作、とても魅力的な人物です。

 そして高杉を演じた伊勢谷友介がとてもいい演技を見せてくれました。

 まるで本物の高杉さんのように感じました。

 龍馬伝の演出家、大友啓史のオススメシーンでもあると龍馬伝HPに記載していました。

 高杉さんは西暦1839年 8月20日 山口県萩市萩城下呉服町、通称菊屋横丁で産声を上げました。

 幼名は春風、18歳の時、吉田松陰の元で松下村塾で学び、ここで高杉の人生の方向が決まったともいえる。



 翌年、龍馬と同じく江戸遊学を果たす。

 幼少の頃はあまりの自由奔放ぶりから家族には

 「この子は、まともな大人になれないのではないか」

 そう思われていた。

 吉田松陰の塾、松下村塾を久坂玄瑞と一緒に訪れるのだが、司馬遼太郎の
『世に棲む日日』には以下のように物語として書かれている。



 松陰はうなずき、ふたたび顔を伏せて高杉の文集を読んだ。

 やがて顔をあげ、最初にいったことばは、高杉が終生わすれられぬところであった。

 「久坂君のほうが、すぐれています」と、いうのである。

 高杉は、露骨に不服従の色をうかべた。

(おもったとおりだ) と、松陰はおもった。

 人を見る目が異常にすぐれている松陰は、この若者が、
裏へまわってここへ入ってきた最初から、尋常でない男がやってきた
という感じがした。

 ふてぶてしいというわけではないが、渾身にもっている異常なものを、ところどころ破れてはいても行儀作法というお仕着せ衣装で包んでいる。それも、やっと包んでいる。

 奇士が、二人になった。 と、松陰はおもった。

 「松下村塾の目的は、奇士のくるのを待って、自分(松陰)のわからずやな面を磨くにある」

 と、かねて友人たちに洩らしている自分の塾の目的にみごとにかなった人物が、久坂のほかにいま一人ふえたという思いが、松陰をひそかに昂奮させている。


 異常という表現をされているが、高杉は金の使い方を公私区別つけないほどに使いまくった。

 豪快な人物なのは間違いない。



 吉田松陰が処刑された時、高杉は萩に戻っていた。

 正確には戻されていたんですが、

 その知らせを受けた高杉は子どものように号泣したそうです。

 それほど、松陰の存在は高杉にとって大きかった存在といえます。

 松陰の処刑を境に、倒幕という思いが固まったのも事実なんです。

 そしてとにかく気まぐれな性格で周囲の人々を困らせていたのも事実。

 江戸遊学の際も船で旅立ったのですが、極度の船酔いに悩まされ、勝手に船を降り文学と剣術の修行に切りかえたいと、藩政府に願い出るのだけど、あまりのわがままぶりに許可されず、帰国を命じられてしまう。


こんなのがあれば良かったかも(笑

 ただ、帰国の際、東北で剣術修行だけは認められ、そこで出会った武士や学生と、自分の教養の差を感じ、帰国後は、三年間自宅にひきこもって読書をすると言い出し、また周囲を困らせていた。

 まだこの頃の長州藩は倒幕や尊王攘夷には染まってはいなかった。

 当時からこのような考えを持っていた高杉や桂小五郎などは藩内でも少数派の存在だった。

 その少数派を尊皇攘夷、倒幕一色に染め上げたのが高杉と言える。

 では、高杉は長州をどのように倒幕一色に染め上げたのだろうか?

 ここでも高杉の思想に深く影響してくるのが吉田松陰なんです。

 元々、高杉は身分の高い武士の生まれ、この時代、大体身分の高い武士というのは身分に物凄くこだわります。それが当たり前の時代でしたし、身分が当時の世界を全て取り仕切っていた思考ともいえます。




 その身分の垣根を取り払って作ったのが奇兵隊になります。

 土佐の吉田東洋も身分の低い武士を起用しましたが農民や商人などは起用しませんでした。

 全ての身分制度の垣根を越えたのが高杉がした一番の功績ではないでしょうか?

 吉田松陰の教えを実行した人物といえます。

 情勢を見る目に長けていた高杉

 龍馬伝でも詳しく描かれていましたが、高杉の行動はその速さにあると思います。

 幕府による攘夷運動が始まると、長州征伐がはじまる寸前に藩を素早く脱出。

 長州藩の家老が責任を負わされ切腹させられる中、時期を密かに待つ高杉。

 そして薩摩の動向などを素早く察知し、当時の薩摩藩が幕府と距離を置こうとした情報など、その時の情勢を冷静に分析していました。

 そして第二次長州征伐が始まると長州に帰り、幕府に従う家臣達から藩政を奪還する為、伊藤俊輔率いる力士隊、及び遊撃隊の僅か80名を従え、下関を占領、そして軍艦を奪うことに成功する。




 この時、高杉は奇兵隊の総督の任を解かれていたが、その時の奇兵隊総督である、山県狂介も重い腰を上げ奇兵隊を引きつれ、高杉の下に向かう。


山県狂介

 このあたりはかなり面白いんです。

 高杉さんがやったことはクーデターなんです。

 藩内のクーデター。

 この高杉が行ったクーデターで長州藩は再び倒幕、尊王攘夷と見事に藩内を一色に染め上げてしまった。

 「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、 衆目駭然として敢えて正視するもの莫し。 これ、我が東行高杉君に非ずや」

 この句は後の初代総理大臣、伊藤博文が高杉をあらわした句になります。

 


 龍馬伝でも描かれていたように、高杉はまだ生きていたかった。

 海外を遊学したくてたまらなかったようで、明治維新もその目で見たかったはずだと思います。

 慶応三年四月十四日、辞世の句を残し、静かに息を引き取りました。

 「おもしろき こともなき世を おもしろく」

 高杉さんは本当に面白い人物です。

 わがまま気まま、放蕩ぶりはまさに豪快。

 きっと長州を倒幕、尊王にすることが彼の天命だったのかも知れません。

 龍馬も同じく、高杉さんの死後、7ヵ月後に暗殺されるのですが、大政奉還が決まっていたとはいえ、その大政奉還を見ることなくこの世を去ることになります。

 きっとこの幕末の英雄二人はあの世で明治維新を見ていたはずと思います。












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