【人】 :: デイリーSKIN

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[2006年09月09日00時00分00秒]
【人】

関西方面から北陸地方に来る時に、鉛色の空に変わると言われることがあります。
鉛色の空の下、福井から私、サカヤンがお送りします。
鉛色通信、略して「鉛通(ナマツウ!)」

柴田勝家シリーズも架橋にさしかかりました
うれしいような悲しいような
なんせこのネタで4週ぐらい引っ張ってますからね
最後までお付き合いくださいませ

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福井市東大味町に民家3軒ぐらいに囲まれて
小さな祠があります。

この祠、明智神社と言い
中には「あけっつぁま」と呼ばれる墨で黒く塗りつぶした木像が
入ってるそうです。

前に明智光秀もこの福井の地に所縁があると書きましたが
そうです、この「あけっつぁま」は明智光秀を祀ってあるもので
光秀が浪人をし越前の朝倉氏士官し鉄砲指南役として
この東大味に数年住んでいたらしいです

この祠の近くには資料館として小さな建物があるのですが
そこには
「敵は本能寺にあり」の一節が書かれてありました
今では子供の遊び場にでもなっているらしい場所でした

ここの近くにあるらしい西蓮寺(今だ行った事はないのですが)
そこには全国で唯一つといわれる柴田勝家像と2通の安堵状
が残されてあります



この安堵状
柴田勝家、柴田勝定
(手持ちの資料には弟となっているが、他に調べた所によると
柴田勝家の家臣だったが、後に明智光秀の家臣になる)

明智光秀が柴田軍の越前一向一揆衆掃討の時に
柴田勝家に依頼したものらしく
内容は

「勝定」
この寺の者は早く帰って住居せよもし非難する者あらば蹴散らしてくれる

「勝家」
寺の山林んは伐採してはならない寺のつとめは前記のとおり勝手ごと要求する者がいるなら急きょ知らせよすぐ成敗してやる 来春には寺を北の庄へ移築せよ年内は許す

荒々しい内容だが勝家のイメージに沿う気がする

明智光秀が住んでいた地域の住民の安否を気遣い勝家に依頼した事で
勝家もそれに応える
なんとも男気がある事だが、その後、本能寺の変で
勝家が忠義していた信長を討つとは予想もしていなかったであろうし
その事によって、勝家、光秀ともに
歴史の闇に埋もれてしまったのは皮肉な話だ

今回は番外編っぽい感じでしたが
歴史の側面をついてみた気がしますが、いかがだったでしょうかね?


なんやっちゃ〜〜〜勝家ぇ〜〜〜〜












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