【橋】 :: デイリーSKIN

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[2006年09月02日00時00分00秒]
【橋】

関西方面から北陸地方に来る時に、鉛色の空に変わると言われることがあります。
鉛色の空の下、福井から私、サカヤンがお送りします。
鉛色通信、略して「鉛通(ナマツウ!)」

今回もまたまた柴田勝家シリーズです
ここまで来たら最後までお付き合い願いますよ


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越前の国の拠点を朝倉氏の一乗谷から北の庄に移動した勝家
この福井の地の礎を築いたといっては過言ではない

一乗谷から寺社や町屋を移転させる、北の庄の諸商売を楽座
にするなど、そのほかに領内の道路、橋の整備など
城下の繁栄に努めた

その一つがこの九十九橋である



現在の九十九橋

この橋、勝家が架けた時は半石半木の奇橋で橋の北よりが板橋で
南が石橋だったらしい
半石半木にした理由は防衛上とあるが、一体どういう事で
防衛的に有利なのだろうか?

過去の九十九橋

上の画像は福井郷土歴史博物館に置いてある復元模型だが

これを見るに川にかかっている部分が木である
という事は木の橋を壊して進入を食い止める事ができる
川に足を取られている敵を岸から迎撃する
なるほど、なんとも理に適っているではないか

他に、河原の部分は耐久性を考え石の橋にし
川中は腐朽しやすいが水流に強い木橋が採用されたという説もある

この時の橋は葛飾北斎の「諸国名橋奇覧」にも描かれているらしい

他に人柱伝説や
勝家公が亡くなった4月24日には勝家軍の首のない武者行列が
歩くとか勝家の亡霊が馬に乗って駆けるなどの噂があるらしい

それ程、勝家の架けたインパクトが強いのであろう

調べた所によるとその当時の橋の欄干などが市内の寺院や民家に
使われているらしくなんと私の住んでいる近くにもその民家が
あるらしい事が判明
さすがに時間がなくて探しにはいけなかったがそのうち是非とも
探しに行こうと思う

残念ながらこの半石半木の橋は明治42年に河川改修工事にともない
トラス木造橋に変わり、昭和61年に現在の橋に変わった

今の橋に立ち思う

歴史に「もし」は無いが、もし今現在も半石半木の奇橋だったら
どうなのだろうか?
今現在の橋は都市景観を考えた橋だということで
見た目も綺麗になっているが
本当の都市景観とは昔の良いものを残すことじゃないのだろうか
現在もその奇橋が架かっていたとしても
それはそれでとても素晴らしい都市景観だと思う

間違いなく観光客にも喜ばれるものだし、その観光客をも
呼んでくれる
勝家が呼んでくれるのだ、これこそが歴史なのじゃないかと思う

古き物を壊し新しいものを作るのも必要な事だが
古きよきものを生かし新しいものを共存させる

もし、こうだったら今もこの時代のようにここ福井も
賑わいを見せてたかもしれない
今だ名を残す北の庄

まだまだ勝家シリーズは続きます

勝家やっちゃおえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜













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