キング・オブ・ロック逝く・・・ 忌野清志郎  :: デイリーSKIN

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[2009年05月12日00時00分00秒]
キング・オブ・ロック逝く・・・ 忌野清志郎 

本日多忙の為、この記事をご覧下さい。
後ほどニュー記事アップ致します。
5/12 16:00更新予定になります。

代表FT




あまりにショックな出来事でした。

忌野清志郎がこの世を去ってしまうなんて。

日本のミュージックシーンに多大な影響を与えた天才、忌野清志郎とはどんな人物だったのだろう。

30代後半から40代の方は結構知られていると思いますが、若い世代にこそ忌野清志郎の残してきた足跡を知ってもらいたい。


【緊急企画!キング・オブ・ロック逝く・・・】



忌野清志郎を始めて知ったのは中学にあがった頃だと記憶している。

RCサクセション(THE RC SUCCESSION)というバンドである番組に出演、オンエアされていた。

当時、小学校から中学にあがったばかりだったので、忌野清志郎のインパクトはかなり大きかった。

男のくせに化粧はしてるは、メンバーは工事現場のヘルメットをかぶって演奏してるは、特に驚いたのが忌野清志郎の独特の歌いまわしだろう。

現在ではビジュアルバンドやそうでないミュージシャン達もメイクなんて当たり前の時代だったけど、当時の日本としてはかなり稀有な存在だった。


RC SUCCESSSION ブン・ブン・ブン

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると『日本におけるロックショーの確立において重要な役割を果たした一人である。』と記されているが、確実に日本のミュージシャン達に多大な影響を与えた事は間違いようのない事実。

詳しい内容はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を見ると良く分かる。

忌野清志郎のメッセージ性の高い楽曲はあまりにも有名。

『ボスしけてるぜ』
という曲などは社会に対しての痛烈な批判とも取れる。
リリース直後、中小企業経営者達からの苦情が殺到し放送禁止になったほど。

詳しくはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のエピソードの項目を見ると良く分かる。彼がどれだけ政治的批判や社会風刺を曲に託していたかが。

現在では珍しくもない社会風刺や批判だけど、忌野清志郎のやり方はかなりストレートな表現なのが特徴だった。

特に痛烈だったのが、『あこがれの北朝鮮』という曲だろう。




確実に北朝鮮でこの曲を歌えば殺されるだろう。

TOKYO FMが主催だったこのコンサート、途中でもちろんカットされた。

確かに朝鮮民族に対する差別に繋がる恐れがあるとは言え、タブーを平気で行なってしまう忌野清志郎の痛烈なメッセージは他に類を見ない。この行動は確かに大人げない行動かも知れない。

それ以外にも数々の批判的ソングをリリースしている。

そしてTHE TIMERSというその名もモロ、大麻とひっかけたバンドを結成し、『宗教ロック』という曲もリリース



RCサクセションフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

もちろんこういった反体制の曲ばかりではなく、彼の作る曲はとてもいい曲も多い。日本語歌詞をRockに上手く載せた最初の人物と言っても過言ではない。

復活を信じてはいたけど、ガンとの闘い。

本当にお疲れ様でした。

反体制や批判的な紹介が多くなりましたが、忌野清志郎の作る曲は全てがそうではない。

本当にいい曲、心を打つ曲も多くある。

喉頭がんが発覚した時、切れば多分、完治していたかも知れない。

しかし切ってしまうと完治と引き換えに ”声” を失ってしまう恐れもあったと思います。だから切らなかったのか、その辺りの真意はよく分からないけど、声を失う事は忌野清志郎にとって ”死” ということと同じ意味だったのかも知れない。

本当にショックで悲しく寂しい出来事だけど、いつまでも忌野清志郎の事はリスペクトしているだろう。

偉大な日本のRockのパイオニア、安らかに。

ありがとう。







スローバラード

忌野清志郎



作詩 忌野清志郎 / みかん
作曲 忌野清志郎 / みかん



昨日はクルマの中で寝た

あの娘と手をつないで

市営グランドの駐車場
二人で毛布にくるまって




カーラジオから スローバラード

夜露が窓をつつんで

悪い予感のかけらもないさ

あの娘のねごと聞いたよ
ほんとさ 確かに聞いたんだ




カーラジオから スローバラード

夜露が窓をつつんで

悪い予感のかけらもないさ

ぼくら夢を見たのさ
とってもよく似た夢を



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<Japanese rock singer Imawano dies at 58>

Sunday 03rd May, 04:32 AM JST

TOKYO —
Japanese rock singer Kiyoshiro Imawano died of a lymphatic disease at a Tokyo hospital early Saturday, his office said Saturday. He was 58. Imawano, a native of Tokyo, was diagnosed with throat cancer in July 2006, and was in and out of hospital for treatment.

Imawano, who often wore makeup, led the band called the RC Succession which made its debut in 1970, and was known for his rough vocal delivery of simple lyrics. The band, which had such hits as Ameagari no Yozora ni (To the Night Sky After the Rain), stopped performing in 1991.

http://www.japantoday.com/category/en...

<訃報>忌野清志郎さん58歳

ロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし) さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日午後1時、東 京都港区南青山の青山葬儀所。

東京生まれ。68年に中学校の同級生らと、忌野さんをリーダーとするバンド「RCサク セション」を結成、70年に「宝くじは買わない」でデビューした。72年には「ぼくの 好きな先生」が、80年には「雨あがりの夜空に」が大ヒット。82年には坂本龍一さん と組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起 こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。

06年7月に喉頭(こうとう)がんと診断され入院。治療を続けた後、08年2月に日本 武道館で本格復帰した。しかし、同7月、左腸骨にがんが転移していたことが判明、再び 活動を中止し放射線治療などを続けていた。

2009年5月2日22時54分配信




◇世代超え支持された反骨の人

世代超え支持された反骨の人=忌野清志郎さん死去

反骨の人だった。
自由を抑圧するものを嫌い、それと戦った。
その姿勢は年を重ねて和らぐどころか、ますます強固になっていった。

 反戦・反核をテーマにした「COVERS」が発売中止になると、別会社からリリース。
続編も作り、その中でボブ・ディランの曲に乗せて「頭の悪い奴らが 圧力をかけてくる 呆(あき)れてものも言えねえ」と怒りを込めた。

 政治家批判などあらゆるタブーに挑む覆面バンド「タイマーズ」も結成。

自分の曲がFM局で放送禁止になると、生放送のテレビ番組出演時にその局を批判する事 件も。

9・11同時多発テロの後には、「愛と平和」のフレーズをコンサートの場などで愚直に 叫び続けた。

 子供が生まれるとでき愛し、子供の歌を作り、レコーディングにも参加させるなど優しい 一面も。

「スローバラード」など、切なく美しいラブソングでも愛された。

シンガー・ソングライターとしてだけでなく、生き方そのものが若者から中高年まで熱烈 に支持された。












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