先週の続きです。
京唄子似の仏像について調べてみました
あ〜ワテにそっくりだすなぁ
これはアンコールトムにある像のひとつだそうです。
うんちく
アンコールトムの仏像
アンコール遺跡の1つでアンコールワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡。12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世により建設されたといわれている。周囲の遺跡とともに世界遺産に登録されている。
アンコールトムとは、城壁と環濠に守られた巨大な都城である。12世紀後半、ジャヤヴァルマン7世により、第4次ヤショダラプラの都として造営された。一辺が3キロの正方形(正確には北側3096メートル、南側3070メートル、東側3031メートル、西側3036メートル)で、周囲の城壁はラテライトで作られており、高さ約7.5メートル。周囲の環濠は幅100メートル、深さは5ないし6メートル程度。
アンコールトムは、プノムクーレンからトンレサップへと高度を下げていく北東−南西の基軸上に位置する。そのため、北東角が高く南西角が低い。その高度差は現在で約10メートル。この高度差を利用して北東角から環濠の水を取りこみ、城内を流れて南西角のベン・トムに溜まり、ここから環濠に排出された。
都城の中心にはバイヨン寺院がある。5つの城門があり、それらには木製の扉があって夜には閉じられたという。内部には木造の王宮があって王が住み、また多数の寺院と溜池があった。ちなみにアンコールトム(大きな都)とはのちになってつけられた呼び名である。
南大門の入口には左右それぞれ54体の巨人の石像が並べられている。向かって左側の像はデーヴァー(神々)で、右側の像はアスラ(阿修羅)です。
神々やアスラは綱引きをするような格好で、7つの頭を持つナーガ」(蛇)の胴体を抱えているが、これはアンコール・ワットの「乳海攪拌の図」 にあるモチーフと 全く同じだそうです。
唄子像は「クメールの微笑み」と呼ばれる有名な観世音菩薩。しかし、この尊顔の目は杏仁形、明らかに仏教の観音の目ではない。
仏教時代のやさしい伏し目がヒンドゥー教に変わって杏仁形の怒り目に変えられたという説の根拠になっている。
ワテ、観音様だったなんてえらいうれしゅうおますな へえ
クメールの微笑み、詳しくはこちら
http://www.ne.jp/asahi/eden/kanata/cambodia/note/05.html
唄子を探してみよう!
ではまた来週〜〜
京唄子似の仏像について調べてみました
あ〜ワテにそっくりだすなぁ
これはアンコールトムにある像のひとつだそうです。
うんちく
アンコールトムの仏像
アンコール遺跡の1つでアンコールワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡。12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世により建設されたといわれている。周囲の遺跡とともに世界遺産に登録されている。
アンコールトムとは、城壁と環濠に守られた巨大な都城である。12世紀後半、ジャヤヴァルマン7世により、第4次ヤショダラプラの都として造営された。一辺が3キロの正方形(正確には北側3096メートル、南側3070メートル、東側3031メートル、西側3036メートル)で、周囲の城壁はラテライトで作られており、高さ約7.5メートル。周囲の環濠は幅100メートル、深さは5ないし6メートル程度。
アンコールトムは、プノムクーレンからトンレサップへと高度を下げていく北東−南西の基軸上に位置する。そのため、北東角が高く南西角が低い。その高度差は現在で約10メートル。この高度差を利用して北東角から環濠の水を取りこみ、城内を流れて南西角のベン・トムに溜まり、ここから環濠に排出された。
都城の中心にはバイヨン寺院がある。5つの城門があり、それらには木製の扉があって夜には閉じられたという。内部には木造の王宮があって王が住み、また多数の寺院と溜池があった。ちなみにアンコールトム(大きな都)とはのちになってつけられた呼び名である。
南大門の入口には左右それぞれ54体の巨人の石像が並べられている。向かって左側の像はデーヴァー(神々)で、右側の像はアスラ(阿修羅)です。
神々やアスラは綱引きをするような格好で、7つの頭を持つナーガ」(蛇)の胴体を抱えているが、これはアンコール・ワットの「乳海攪拌の図」 にあるモチーフと 全く同じだそうです。
唄子像は「クメールの微笑み」と呼ばれる有名な観世音菩薩。しかし、この尊顔の目は杏仁形、明らかに仏教の観音の目ではない。
仏教時代のやさしい伏し目がヒンドゥー教に変わって杏仁形の怒り目に変えられたという説の根拠になっている。
ワテ、観音様だったなんてえらいうれしゅうおますな へえ
クメールの微笑み、詳しくはこちら
http://www.ne.jp/asahi/eden/kanata/cambodia/note/05.html
唄子を探してみよう!
ではまた来週〜〜