明石屋万吉(小林佐兵衛)という人物 其の壱 :: デイリーSKIN

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[2009年07月19日00時00分00秒]
明石屋万吉(小林佐兵衛)という人物 其の壱

 10/1のデイリーSKINで【小説レビュー】と銘打ち

 明石屋万吉(小林佐兵衛)という人物のことに少し触れました。

 10/1掲載小説レビュー記事はこちら

 歴史上の人物で豪傑、天才、その他有名な歴史上の人物は数多く存在する。私の好きな歴史上の人物を数えると多数の大物がいる。



 やはり坂本竜馬は外せない人物と言えよう。

 その、数多くの歴史有名人をさしおいて私は明石屋万吉(小林佐兵衛)がNo1だと思っている。

 個人的な意見で申し訳ないのですが、好きな時代というのがある。

 戦国時代はかなり面白かったりしますが、やはり個人的に一番好きな時代というのが ”幕末” なんです。

 幕末ほど若者達が燃え上がった時代はあったでしょうか?

 まあ、武士限定といえばお終いなのですが。

明石屋万吉(小林佐兵衛)

(ライターFT)

 『明石屋万吉(小林佐兵衛)という人物 其の壱』
 

 幕末は勤皇の志士(倒幕派)と呼ばれる浪人達と佐幕派と呼ばれる武士達は互いに命を削りながら日本の将来の為に生き、死んでいった時代。

 皆、若い世代が中心になっていた。

 そんな大変な時代に今回取り上げる明石屋万吉(小林佐兵衛)は何をしていたかというと ”博打” なのである。

簡単に言ってしまうと明石屋万吉はヤクザなのである。

しかも当時の大阪(この時代は大坂)と書いた)は地方の浪人達が船などで乗り入れる拠点ともなっていた。

京都も近く、大阪は佐幕派(江戸幕府派)たちにとってもここで食い止める為の重要拠点と考えられていた。

新撰組

京都見廻り組で有名なのは言わずとしれた ”新撰組” だろう。

そして大阪でも見廻り組は存在したのだ!

これは当たり前の話で、当時政権を握っていた幕府としては川だらけの大阪でどれだけの倒幕派を食い止めるのかが重要な問題だった。

まさに世紀末らしく、倒幕派だけでなく、倒幕派を装った偽志士達も大阪の川を上り悪さを働いていた。

ここで幕府からこの大阪の治安を任されてしまったのが一柳藩という弱小大名だった。弱小なので資金も人材もいない。一柳藩は一万石という小規模大名だった。一万石とは侍は約30人、足軽を含めると約100人ほどの大名になる。

小藩といえども幕府の慣例で江戸に多くの藩士が詰めなければいけない時代だった。一柳藩の建部小藤治なる人物が当時の大阪で侠客として名を馳せていた万吉に西大阪の警護を頼みこむ。

警護の資金や人材等も全て万吉の私財。

そしてその見返りは武士にしてやるということ。

ここで面白いのが万吉は武士なんぞになりたくないということ。

そして嫌々、警護を引き受ける羽目になる万吉。

当時の新撰組は怪しい人物はすぐさま切り殺すような殺人集団だった。
大阪の見廻り警護を任された万吉は新撰組とは異なり、往来安全をスローガンに佐幕派も倒幕派も助けまくったのだ。

しかも怪我をしている浪人には手厚い介護をし、治るとそのまま解放するということを繰り返した。全ては往来安全の為。

浪華遊侠伝の中で万吉が言ったとされる言葉がとてもおかしくて共感できる。

勤王も佐幕もあるかい。おれは往来安全でゆく

本当に最高だと思いませんか?

『気の毒な人間がいれば勤皇だろうが、佐幕派だろうが関係ない、助ける』

なんてかっこいいんだ!万吉っつぁん!

万吉の魅力はこれだけでなくもっとたくさんあるのですが、一番魅力に感じた部分になります。

当時の政治情勢など一切関係なく、安全往来をスローガンに真摯に仕事をこなした万吉。

この時代、身分や政治情勢などお構いなしで自分が正しいと思ったことをする、それは簡単には出来ない時代だったと言えよう。

それをひょうひょうとやってのけた万吉に魅力を感じてしまうのは当然といえば当然かも知れない。

話は少しさかのぼるが明石屋万吉は大阪の十三村の生まれ。

父親は武家の出で、万吉が幼少の頃、蒸発する。

幼少の万吉は、父の蒸発を境にある覚悟を決めることとなる。

母親を食わしていく決意をする。

しかし一体、どうやって母を食わせるのか。

江戸時代末期の神社などではそこいらじゅうで博打が開かれていた。
地域のガキ大将からやくざな大人達が賭場を開いていた。幼少の万吉がやった行動とは賭場荒らしだった。

幼少(確か11歳くらいだった)の万吉は賭場が開かれている真上にうつぶせになり、そこに置かれていた金の上に覆いかぶさり、殴られようと、蹴られようと一切そこから動かないという暴挙に出た。

何度もそれを繰り返し、殴っても蹴られても絶対にそこから動かないという作戦だった。作戦というより捨て身の行動だった。

母や兄弟を食わせる為、万吉は覚悟を決めていたのだ。

それから賭場では万吉が現れると、そこにいた人々はあきらめの表情を浮かべ、万吉に金を渡したという。

これが万吉が "どつかれ屋" として身を立てた瞬間だった。

これ以上書くと本編を読んだとき面白く無くなりかねないのでここいらにしておく。

本編は本当に面白い。

任侠物としてはそれらしくない、何とも清々しい物語に仕上がってる。

特に面白い下りは ”堂島米相場” の下り。

堂島米会所(どうじまこめかいしょ)と呼ばれる当時の米の取引所では米の価格が高騰、庶民は困り切っていた。その米騒動で万吉は役人に捕えられ、蝦責めと呼ばれる拷問を受けることになる。身体を前に二つ折りのように曲げさせて、縄で縛りつける拷問だ。

この責めは当時の拷問の中でもかなりの責苦とされているらしい。そして塩抜きという拷問。これをやられた囚人は、日々体力がなくなり、身体のあちこちが辛くなり、気力がどんどん萎え、最後にはどうでもよくなって、白状してしまうというのだ。かなりつらいらしい。

全てに耐えた万吉。

当時の米騒動の裏側が良く分かり、面白い。

まだまだ面白いのは序の口。

どつかれやとして身を立てた万吉は現在の梅田にある太融寺近くの駄菓子屋に住むことになる。

さすがに子供らしく駄菓子屋に居候することになる。

この駄菓子屋の店主である老婆と万吉のやりとりが妙におかしい。
まるで落語のような会話。この辺りは司馬遼太郎の創作だと思うが、かなり面白い。



現在の太融寺

気になる方は本編を読んでみるといい。

あまり本編のことを書きすぎるとそれはそれでまずいので止めておく。

明石屋万吉が住んでいた太融寺付近、現在では一体全体どうなってしまっているのか?

次週、詳しく動画レポートしてみたいと思います。

ではまた来週!













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