あなたの知らない”音”をSKIN代表のFTがご紹介して行きます。
そんなの、知らんでもええわいっ!という声も聞こえてきそうですけど、これがまた笑えるのさ!
って、お笑い目的ではありませんので!真面目にやりますよ!皆さん、少し付き合ってくださいね。(ライターFT)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃『音楽集団 ”じゃがたら"ナンのこっちゃい』
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
自らをバンドとは表現しなかった江戸アケミ。
江戸アケミって一体誰?
80年代にカルトな音楽ファンを魅了してやまなかった人物だ。
簡単なプロフィール
Akemi Edo[江戸アケミ]
本名=江戸正孝/音楽集団「じゃがたら」の精神的リーダー/1990年1月27日、自宅にて常用していた精神安定剤を服用後、風呂に入りそのまま寝てしまい溺死する/享年37歳
JAGATARAはどんなバンドだったのか。
一言で言えば今のミクスチャーとでも呼べるかも知れないが、そんな一言では語りきれない。
精神世界を表現していたと思うのだけれど、はたしてそこまで計算して作られた音楽ではない。表現の仕方は独特でカッコイイタイプではない。
”痛い“
のだ。
何が痛いって彼の歌詞の中に随所に出てくる痛さがステージを見ても音源を聴いても伝わる痛さなのか?とにかく痛みがリスナーに伝わってしまい、同意せざるを得ない感覚にさせられてしまうのだ。
アフリカン・ポップの要素もあり、江戸アケミの独特のスタイルは決して上手いVoではないけど弾きつけられる魅力がある。
デビュー当初は過激過ぎるパフォーマンスでイメージは良くなかった。
ウンコ撒き散らしたり、体をカットして血を撒き散らしたりシマヘビやニワトリを食いちぎりとそんなイメージが先行していた。インディーズデビュー・アルバムは、1982年の「南蛮渡来」、ホーンセクションを中心に音楽性もアフロファンクな方向性に固まってきた。
「南蛮渡来」はじゃがたらのアルバムの中でも名作と言える。
コーラス部分の中で
『暗いね、暗いね、日本人って暗いね』
と言う歌詞があるが見事にファンクされている。しかも自然に。
暗黒大陸じゃがたら
じゃがたらBest
一体、江戸アケミは何を目指したのか。
1983年8月21日:日比谷野音「天国注射の昼 vol.4」(エロ雑誌「HEAVEN」主催)
「24時間テレビ愛は地球を滅ぼす!だいたいあんな番組なんかさ、身体障害者を見せもんにして、あ〜かわいそうですねかわいそうですねって、バカにすんじゃねーよ」
こんな過激とも取れる発言をしていたりしている。
世の中の現実を感じて発せられたメッセージなのかも知れないけど、理解出来る奴は少ない。
ライヴ当日にこなかったりはしょっちゅうだったようだ。
この頃から江戸アケミの精神が崩壊していったようだ。
1984 1月1日:「10+1 NewYear Rock Festival 83〜84」に内田裕也の要望により出演。江戸アケミも病院から外出許可をもらい出演。テレビ放映される。その時の動画が先週の『あなたの知らない音世界』でお伝えしたYouTubeの動画だ。
しかしメンバーは江戸アケミの復帰を信じ、リハーサルは続けていたようだ。この頃江戸アケミは病院に入院していた」ようだ。
1988年にはこんな言葉を残している。
「評論家の言うことに耳を貸していると頭がバカになるぞ。
あいつらのいいとこだけ取れ。あとはあいつら全部てめぇが名前を売りたいがためにやってんだからよ。
JAGATARAのことを書いている記事は全部でたらめとでっちあげだと思って下さい。
あなたたちがここに来て、こうしてこうやっている事が真実だよ。メディアは全てインチキだ!全部てめぇらが売りたいからやってんだよ!
ロッキンオンでもなんでも全部そうだ!だから人の噂を信じるなベイビー!俺はここにいるぞ!俺はここにいるんだ!俺はナンのこっちゃい!ベイビー、ナンのこっちゃい!バイバイ!!」
かなりイイ感じになっている。
そしてその年の12/16のライヴでは
「原発反対、レゲェのミュージシャンはこう言うぜ、散髪反対!
レゲェのミュージシャンの方がいかしてるぜ。同じ事を、別な次元でやんなきゃだめだ、俺達は。安保反対!インポ反対!ベイビー!ナンのこっちゃい!ハルマゲドンがナンのこっちゃい!
エホバの証人が俺んちに来た。ハルマゲドンになって、あなたの魂は救われない…と。じゃあエホバの証人にならなくって、心の清い人はいったいどこ行くんだ?全部矛盾だらけだよそんなん。
全ての宗教は麻薬と一緒。SEX,DRUG,ROCK'N ROLL!ナンのこっちゃい。」
江戸アケミ語録はたくさんあるけど、面白いのを抜粋してみた。
幼時は洗礼を受けたクリスチャンであったが、長ずるにつれ信仰に疑問を感じ、棄教したようだ。
それから
結局江戸アケミは1990年に自宅の浴層で溺死してこの世を去ってしまう。
全く残念な話だ。また1992年4月8日にはナベ(ベース)が急性肺炎で、1992年12月9日には篠田(サックス)が心筋梗塞で相次いで世を去った。
1990年以降、数度に亘ってメンバーが参加するイベントが開催されている。近年は未発表映像のDVD発売など、再評価の機運が高まっている。
今、彼が生きていたらどんな面白い音楽や面白い発言をしていただろう。
江戸アケミが生きていて同じ空気を吸っていると考えただけでワクワクしてくる。
http://www.youtube.com/watch?v=HvhgMrt3fiU&eurl=
じゃがたら動画(画像悪し)
http://www.loft-prj.co.jp/jagatara/oto/diary.cgi
じゃがたらギタリストのOTOの日記
そんなの、知らんでもええわいっ!という声も聞こえてきそうですけど、これがまた笑えるのさ!
って、お笑い目的ではありませんので!真面目にやりますよ!皆さん、少し付き合ってくださいね。(ライターFT)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃『音楽集団 ”じゃがたら"ナンのこっちゃい』
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
自らをバンドとは表現しなかった江戸アケミ。
江戸アケミって一体誰?
80年代にカルトな音楽ファンを魅了してやまなかった人物だ。
簡単なプロフィール
Akemi Edo[江戸アケミ]
本名=江戸正孝/音楽集団「じゃがたら」の精神的リーダー/1990年1月27日、自宅にて常用していた精神安定剤を服用後、風呂に入りそのまま寝てしまい溺死する/享年37歳
JAGATARAはどんなバンドだったのか。
一言で言えば今のミクスチャーとでも呼べるかも知れないが、そんな一言では語りきれない。
精神世界を表現していたと思うのだけれど、はたしてそこまで計算して作られた音楽ではない。表現の仕方は独特でカッコイイタイプではない。
”痛い“
のだ。
何が痛いって彼の歌詞の中に随所に出てくる痛さがステージを見ても音源を聴いても伝わる痛さなのか?とにかく痛みがリスナーに伝わってしまい、同意せざるを得ない感覚にさせられてしまうのだ。
アフリカン・ポップの要素もあり、江戸アケミの独特のスタイルは決して上手いVoではないけど弾きつけられる魅力がある。
デビュー当初は過激過ぎるパフォーマンスでイメージは良くなかった。
ウンコ撒き散らしたり、体をカットして血を撒き散らしたりシマヘビやニワトリを食いちぎりとそんなイメージが先行していた。インディーズデビュー・アルバムは、1982年の「南蛮渡来」、ホーンセクションを中心に音楽性もアフロファンクな方向性に固まってきた。
「南蛮渡来」はじゃがたらのアルバムの中でも名作と言える。
コーラス部分の中で
『暗いね、暗いね、日本人って暗いね』
と言う歌詞があるが見事にファンクされている。しかも自然に。
暗黒大陸じゃがたら
じゃがたらBest
一体、江戸アケミは何を目指したのか。
1983年8月21日:日比谷野音「天国注射の昼 vol.4」(エロ雑誌「HEAVEN」主催)
「24時間テレビ愛は地球を滅ぼす!だいたいあんな番組なんかさ、身体障害者を見せもんにして、あ〜かわいそうですねかわいそうですねって、バカにすんじゃねーよ」
こんな過激とも取れる発言をしていたりしている。
世の中の現実を感じて発せられたメッセージなのかも知れないけど、理解出来る奴は少ない。
ライヴ当日にこなかったりはしょっちゅうだったようだ。
この頃から江戸アケミの精神が崩壊していったようだ。
1984 1月1日:「10+1 NewYear Rock Festival 83〜84」に内田裕也の要望により出演。江戸アケミも病院から外出許可をもらい出演。テレビ放映される。その時の動画が先週の『あなたの知らない音世界』でお伝えしたYouTubeの動画だ。
しかしメンバーは江戸アケミの復帰を信じ、リハーサルは続けていたようだ。この頃江戸アケミは病院に入院していた」ようだ。
1988年にはこんな言葉を残している。
「評論家の言うことに耳を貸していると頭がバカになるぞ。
あいつらのいいとこだけ取れ。あとはあいつら全部てめぇが名前を売りたいがためにやってんだからよ。
JAGATARAのことを書いている記事は全部でたらめとでっちあげだと思って下さい。
あなたたちがここに来て、こうしてこうやっている事が真実だよ。メディアは全てインチキだ!全部てめぇらが売りたいからやってんだよ!
ロッキンオンでもなんでも全部そうだ!だから人の噂を信じるなベイビー!俺はここにいるぞ!俺はここにいるんだ!俺はナンのこっちゃい!ベイビー、ナンのこっちゃい!バイバイ!!」
かなりイイ感じになっている。
そしてその年の12/16のライヴでは
「原発反対、レゲェのミュージシャンはこう言うぜ、散髪反対!
レゲェのミュージシャンの方がいかしてるぜ。同じ事を、別な次元でやんなきゃだめだ、俺達は。安保反対!インポ反対!ベイビー!ナンのこっちゃい!ハルマゲドンがナンのこっちゃい!
エホバの証人が俺んちに来た。ハルマゲドンになって、あなたの魂は救われない…と。じゃあエホバの証人にならなくって、心の清い人はいったいどこ行くんだ?全部矛盾だらけだよそんなん。
全ての宗教は麻薬と一緒。SEX,DRUG,ROCK'N ROLL!ナンのこっちゃい。」
江戸アケミ語録はたくさんあるけど、面白いのを抜粋してみた。
幼時は洗礼を受けたクリスチャンであったが、長ずるにつれ信仰に疑問を感じ、棄教したようだ。
それから
結局江戸アケミは1990年に自宅の浴層で溺死してこの世を去ってしまう。
全く残念な話だ。また1992年4月8日にはナベ(ベース)が急性肺炎で、1992年12月9日には篠田(サックス)が心筋梗塞で相次いで世を去った。
1990年以降、数度に亘ってメンバーが参加するイベントが開催されている。近年は未発表映像のDVD発売など、再評価の機運が高まっている。
今、彼が生きていたらどんな面白い音楽や面白い発言をしていただろう。
江戸アケミが生きていて同じ空気を吸っていると考えただけでワクワクしてくる。
http://www.youtube.com/watch?v=HvhgMrt3fiU&eurl=
じゃがたら動画(画像悪し)
http://www.loft-prj.co.jp/jagatara/oto/diary.cgi
じゃがたらギタリストのOTOの日記