探検隊が行く【国友鉄砲】 :: デイリーSKIN

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[2006年07月20日00時00分00秒]
探検隊が行く【国友鉄砲】

 

長浜をキンロケ探検隊が行く。
前回に続き長浜より3kmほど北東へ鉄砲の里、国友を散策
探検隊 チュロP・サカヤン・タムタム(ライター:チュロス)




 

種子島に鉄砲が伝わった1543年の翌年から国友村では鉄砲作り始めている。

伝わった鉄砲は、鉄砲の筒の底が火薬の衝撃で抜けてしまわない用にネジになっている。
しかし、当時の日本にはネジと言うものは無く、雄ネジは作れたが、雌ネジの作り方がわからない。

国友村に次郎助という鍛冶職人がネジについていろいろ考え抜いたあげく、ある時刃の欠けた小刀で大根をくり抜くことで、雌ネジの製造方法を編みだしたそうだ。

この次郎助のネジの開発によって大量の鉄砲の生産に成功し「長篠の戦い」「大阪冬の陣」などで国友鉄砲が使われた。



 
大筒は地面に置いて使用した。



さすがにココまで大きいと抱えて撃てないので、
鉄砲と言うより大砲。



 
その後、鉄砲生産地として栄えた国友はその技術を生かして、金工彫刻・天体望遠鏡・花火などへの道を作ってゆくのであった。


 
国友藤兵衛重恭が製作したグレゴリー式反射望遠鏡。

重恭は自分で作った反射望遠鏡で天体観測を行い、月面や金星・木星・土星の環・太陽の黒点観測図など、精度の高い記録を残している。






皆それぞれ思い思いの衣装で鉄砲と記念撮影


<衣装がおかしいぞ!歌舞伎者?>




<だから、衣装がおかしいって!歌舞伎過ぎ!>





<さすが次郎長好き!鉄砲と関係ない!>


















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