塩崎紙芝居博物館と小倉北コミュニティ :: デイリーSKIN

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[2008年04月22日00時00分00秒]
塩崎紙芝居博物館と小倉北コミュニティ

関西に住んでいても中々足を踏み入れない場所や、知っていても行った事がなかったり、Deepな人の溜まる場所であったりと様々なDeepな関西を紹介するDeep関西!

久しぶりのDeep関西です。

今回は大阪西成区にある塩崎紙芝居博物館でお話を聞くことが出来ました。

塩崎紙芝居博物館内の撮影は事情で許可貰えませんでしたが、本当に素晴らしい紙芝居の原画を多数拝見することが出来ました。

(ライターFT)



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┃『塩崎紙芝居博物館
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

何故、紙芝居なのか!

弊社サイトに訪れてくれているユーザーの皆様は疑問に思うかも知れません。

実は私がデザインしたTシャツのキャラが紙芝居としてキャラクター化されるんです。(ホント)

人気爆発中!BAD EBISU CAP絶賛発売中!

TシャツページBAD EBISU絶賛発売中!




小倉北コミュニティという福岡県北九州市で街頭紙芝居をしている団体があるのですが、この代表者の方からオファーがありました。

『是非、BAD EBISUのキャラを使って紙芝居がしたい』

との事でした。

もちろん快諾です。

こんなに嬉しい話は久しぶりです。

よく話を聞いてみると先週の土曜、日曜日に大阪に出てくると言うではないですか!その前に小倉北コミュニティの簡単なご説明を!

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【小倉北コミュニティ】

昔ながらの街頭紙芝居を、世代を問わず多くの方に見て楽しんで頂くことを
目的に活動する任意団体です。

街頭紙芝居により人が集う場を作り出し、コミュニケーションの大切さを押
し付けずにそれとなく伝えられることを期待しております。

特に子どもにおいては、小さい頃からの人と人とのふれあいがコミュニケー
ション能力の面で将来的に良い影響を与えるのではないかと考えます。

人が集う場ということでは、地元商店街の活性化策の一つとして ご要望があ
れば、この街頭紙芝居の活動で寄与できればと思っております。

小倉北コミュニティホームページ(ホームページより引用)

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まずは街頭紙芝居を知らない方の為に!

街頭紙芝居は日本発祥の独自の文化なんです。

台本に沿って描かれた数枚から十数枚の絵をその筋書きに沿ってそろえて重
ね合わせ、演じ手は、1枚目から順に観客に見せながら、筋書きとセリフを語
っていく。 見せ終わった絵は、横に引き抜いて裏に回し、物語を展開させて
いく。

紙芝居では、演じ手(一人)と観客(複数)とが向き合い、実演を通して直
接交流することにより盛り上がる。演じ手は観客の反応を見ながら、絵の引
き抜き方、声色、台詞回しなど演じ方を自在に変える事もできる。この双方
向性と一体感は、TVなどの一方通行のメディアでは得られぬ紙芝居の特質で
ある。

よって、紙芝居においては素材の「絵」だけでなく、実演する「演じ手」も
重要な要素であり、演じ手の質が紙芝居の効果をはっきり左右することにな
る。

しかしTV放送が始まり、昭和の中期頃には紙芝居を演じる人々は段々と姿を消し、少なくなっていく。

現在では昔から演じていた人が少数残り、様々な活動を続けられているようです。

さらに小倉北コミュニティ主催者でもある田中 臣昭さんも新しく街頭紙芝居の演者として北九州で活躍されているようです。

そして小倉北コミュニティの田中さんと一緒に、大阪西成区にある塩崎紙芝居博物館に行って参りました。

今回、館内の撮影許可が下りなかったので紙芝居の画像はありませんが、この塩崎紙芝居博物館と関わりのある近藤さんと言う方に色々とお話を聞くことが出来ました。

紙芝居博物館といっても普通の民家の2階に展示されています。

紙芝居の絵元と呼ばれる場所だった為、ここの家主である塩崎源一郎さんの奥様が管理されています。「三邑会(さんゆうかい)」という日本では唯一の紙芝居の絵元になります。




画像を見ていただくと良く分かるのですが、紙芝居博物館といってもごく普通の民家です。

塩崎源一郎さんはすでに他界されていて、現在では奥様の塩崎ゆうさんが館
長として、これら貴重な資料を三邑会(さんゆうかい)のメンバーの皆さん
と協力しあって守っていらっしゃいます。

ご病気ということもあり、ここを訪れる祭は必ず三邑会(さんゆうかい)の方にアポイントを取らなければは現在は訪れることが出来ないようです。

この日、小倉北コミュニティ主催者の田中氏と三邑会(さんゆうかい)メンバーである近藤博昭さんにお話を伺うことが出来ました。


三邑会(さんゆうかい)メンバーである近藤博昭さんによる紙芝居実演
※画像提供小倉北コミュニティ


塩崎紙芝居博物館前は少し狭めの路地にひっそりとあります。

扉を開けると昔ながらの民家!

しかし玄関入り口の棚には物凄い数の紙芝居の原版が」あるわあるわ!

小さな階段を上れば紙芝居の原版を展示してあります。

八畳二間ほどのスペースに所狭しと展示された紙芝居の原版!

何ともいえない昭和レトロな雰囲気の素敵な絵が飾られていました。

http://log-osaka.jp/history/vol.10/hst_vol10_2.html
こちらのリンクには館長である塩崎ゆうさんのインタビュー記事が掲載されています。

http://log-osaka.jp/history/vol.10/hst_vol10_3.html

ちょうど、2階に上がると上のリンクページの絵が飾られていました。
モノクロ画像なので、雰囲気は分かりにくいかもしれませんが凄い画力と感じました。


お話をお伺いした三邑会(さんゆうかい)の近藤博昭さんによると、街頭紙芝居を演じる人達は、当時差別を受けていたようです。

『喰うに喰えなくなった人たちが紙芝居を始めるというのが差別を受けた原因だった』

当時の紙芝居の内容と言えば、喰えない人が駄菓子を売る為の行為だと卑下されたり、紙芝居の内容そのものが軍事奨励的な内容だったり、エロ、グロ的な内容のものもあったことから今ほど良いイメージではなかったようです。

「低劣、俗悪」等と蔑まされ、子供たちには見せてはいけないという親たちも少なくなかったようです。

ここから少し私事になりますが、私も西成区出身で、小さい頃は近所の公園などでよく紙芝居を見ました。

幼稚園の時でした。

当時、事情で祖父宅に預けられていました。

祖母は当時看護婦として働いていましたので、幼稚園が終わると大体一人で家にいるか、公園で遊んでいました。

公園に行く理由としては紙芝居が見れるからです。

紙芝居のおじさんは水あめやカタ抜きと呼ばれる駄菓子を売っているので、祖母にお小遣いを貰うと紙芝居のおじさんが来るのを心待ちにしていました。


※カタ抜き - 動物やキャラクターなどの絵柄がプリントされた、ハッカ味で板状の砂糖菓子を買い、絵柄通りにカタ抜きをしていく。綺麗に絵柄をカタ抜きできればお金がもらえるというシステム。複雑な絵柄であるほど金額が上がる。

同じように紙芝居を見に来ている友達やなんかとカタ抜きをズルしてカッターでこっそり抜いたり、ハサミでズルしたりした思い出があります。

この塩崎紙芝居博物館に展示されている原画を見た瞬間、完全に忘れていた当時の記憶が蘇りました。

両親とは事情離ればなれで暮らしていた私にとって、当時はかなり寂しかったのでしょう。原画を見たとき、何とも言えない気持ちになりました。

当時、幼稚園だった私にとっては ”寂しい“ という言葉や感情を口に出していうことがよく理解出来なかったのだと思います。

ようやく、塩崎紙芝居博物館で展示されている原画を見て、『あぁ、あの当時は寂しかったんや』と言うことが理解出来たと思います。

忘れていた小さい頃の感情を思い出すことだ出来たのも、紙芝居の原画の画力だと素直に感じた瞬間でした。

もちろん、紙芝居を見ているときは寂しさは紛れていたと記憶しています。

何とも言えない雰囲気の独特のタッチに思わず見入ってしまいました。

公園で遊んでいると、柏木の音、

『紙芝居始まるでぇ〜〜』

柏木の音と同時におじさんが子供たちを集める声が公園内に響く。

5円や10円を握り締めた子供達が紙芝居のおじさんの周りに集まり出し、紙芝居を今か今かと待ち望む。

紙芝居が始まり、食い入るように見つめる子供達、物語は佳境に入り、一番いい所でおじさんが放つ一言!

『続きはまた来週〜〜』




紙芝居を演じる田中さん(小倉北コミュニティ代表)
(子供達の真剣な表情が素敵!)

そうやってまた紙芝居のおじさんが来るのを心待ちにする子供達。

不思議な物語が多かったような気がします。

紙芝居の内容で覚えているものは少ないですが、いつか懐かしい紙芝居をもう一度見たいと心から思った日でした。



※街頭紙芝居はBAD EBISUの紙芝居が出来たらレポートしたいと思います。













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