関西に住んでいても中々足を踏み入れない場所や、知っていても行った事がなかったり、Deepな人の溜まる場所であったりと様々なDeepな関西を紹介するDeep関西!
原点に戻る!
何が原点やね〜〜ん!
やはり西成のあいりん地区(通称・釜ヶ崎)は、生と負のパワーのある地域だと感じている。
前回の釜ヶ崎内にある公園近くでピンチに立たされてしまった代表FT、逃げないと決めてはいましたが代表FTの取った行動とは・・・
(ライターFT)
『2007 西成区のあいりん地区
(通称・釜ヶ崎)日本唯一のスラム街』
先週からの続きになります。
2007 JR新今宮駅周辺〜西成区のあいりん地区(通称・釜ヶ崎)日本唯一のスラム街
前回の記事はこちら!
『おい、こらっ、どつきまわすぞ!』
こう言われたオレは内心かなり逃げたい衝動に駆られた。
喧嘩になれば勝つ自信はある。
これでも一応、空手の有段者だ。
だから尚更、この人物の危険度を肌で感じていたのだと思う。
最後の一線を超える事が出来る目と自然に判断したんだと思う。
※10年程前だったか、当時西武の清原が覚せい剤撲滅のポスターモデルになり、こんなのがあった。
『覚せい剤打たずにホームラン打とう!』(ニンマリと笑った清原が素敵)
もしかしたらヤバイ薬の常用者かも知れない。
見ず知らずの人間に後ろからいきなり
『おい、こらっ、どつきまわすぞ!』
などという人間は少ない。
しかもホットパンツだし・・・
この日は何故か腹が座っていた。
ここは一つ質問しないといけない。
『いやいや、このあたりをブラブラしてるだけで別に怪しいもんではないですよ』
ゆっくりと余裕な雰囲気を保ちながら言ったつもりだった。
でも実際はこんな風だったと思う。
『いややんやぁ、このあたるにはブラブラにてっててあややややもん』
100%言葉を噛んでしまっていた・・・
腹がすわってるのではないのか、オレ・・・
本当は完全にビビりまくっていた。
不可思議な表情をしながら長髪ホットパンツはずっとオレを睨みつけている。
気がつくと走っていた。
商店街を抜け、国道26号線まで走って逃げていた。
普段、あまり走ることがないので心臓は破裂しそうになり、呼吸困難に陥り、立ち止った時には吐き気さえ催していた。あまりの顔色の悪さと、呼吸困難でその場に座り込んでしまった。
国道26号線沿いの歩道で座り込むオレ・・・
道行く人は歩道の真ん中で座り込むオレを避けるように通り、ようやく普通に呼吸が出来るようになる頃、極度の自己嫌悪に陥っていた。
いいのか、オレ、このままだと負け犬決定やぞ!
自問自答を心の中で繰り返し、負け犬になるのは嫌なのでもう一度釜ヶ崎に戻った。
釜ヶ崎奥にある街頭TVが設置されている公園
何とか上の画像のある公園まで戻ってきた。
ホットパンツがいれば今度はこんな風に言い返してやろう。
『どつきまわしてみろやぃ!』(心の声)
残念ながらホットパンツはいなかった。
しかしその筋の人と思われる人が公園の周り、いたる所にいる。
やはりカメラを出せない。
しかしカメラで撮影しなければいけない。なんてってたってやらねばならない。(なんでやね〜ん)
釜ヶ崎にある消防署の画像、鉄壁のバリケードが施されている。
中を撮影してみた。
西成消防署海道出張所
この公園の斜め前は街頭TVが設置されている公園がある。その公園では山積みにされた建築残材が脇に置かれ、その残材を燃して釜ヶ崎にいる人は暖を取っている。消防署は目の前。その斜め向かいは西成警察署がある。
その並びには例の公園。
中では半丁賭博が行われていたり、ポーカー賭博もあるらしい。
昔、センターで建設の仕事をしていた時、仲の良い奴が入り浸っていた。
少し釜ヶ崎の裏手に入ると普通の民家も建ち並ぶ。
阪堺線の線路脇になる。なぜか阪堺線もこの付近だけは盛り土をし、普通の電車の線路のように簡単に入れないようにしている。
画像右手のフェンスは阪堺線の線路がある。
この辺りにはあまり労働者やホームレスはいない。
あいりん労働者センター
センター横手ではすでにお休みになっている人も。
クリックで拡大
釜ヶ崎と呼ばれている所以は日雇労働者への配給を作るために釜で炊き出しをするため「釜ヶ崎」という名前が生まれたという説と、実際には日雇労働者の寄り場がこの地区に形成される以前の明治期から釜ヶ崎(西成郡今宮村釜ヶ崎)という呼称は存在していた。
当時、この暴動の渦中にいた事は今でも鮮明に記憶に残っている。
この場所にいたほとんどの労働者達が意味が分からなく投石や破壊を繰り返していたことは
本当の話で、今でも何か火種があればすぐに爆発してしまうだろう。
全ての労働者やホームレス達が悪い訳ではない。
はっきりと言える事は労働者やホームレス達は言い知れない不安を日々抱えていると言うことだろう。
その結果、暴動と言う行動に繋がりやすいということだろうか?
昔、センターで仕事を貰っていたいた時、仲良くなった人は今は釜ヶ崎では見つけることは
出来なかった。その人達は気の良い人たちだったが、事が起きると豹変していた。傍にいたオレも血が滾る感覚を味わうことになったが、あの1990年の暴動だけは今でもトラウマのように思い出す。
確かにスラムと言える街だけど、やはり自分自身、この地は憎めない。
薬、アルコール依存、賭博、その他色々とあるけど、エキサイティングで面白い街ということだけは間違いないと感じている。
あのホットパンツとはいつか決着を着けなければならないと思い、釜ヶ崎を後にした。2007:11/24
機動隊実力行使 西成1990年
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何が原点やね〜〜ん!
やはり西成のあいりん地区(通称・釜ヶ崎)は、生と負のパワーのある地域だと感じている。
前回の釜ヶ崎内にある公園近くでピンチに立たされてしまった代表FT、逃げないと決めてはいましたが代表FTの取った行動とは・・・
(ライターFT)
『2007 西成区のあいりん地区
(通称・釜ヶ崎)日本唯一のスラム街』
先週からの続きになります。
2007 JR新今宮駅周辺〜西成区のあいりん地区(通称・釜ヶ崎)日本唯一のスラム街
前回の記事はこちら!
『おい、こらっ、どつきまわすぞ!』
こう言われたオレは内心かなり逃げたい衝動に駆られた。
喧嘩になれば勝つ自信はある。
これでも一応、空手の有段者だ。
だから尚更、この人物の危険度を肌で感じていたのだと思う。
最後の一線を超える事が出来る目と自然に判断したんだと思う。
※10年程前だったか、当時西武の清原が覚せい剤撲滅のポスターモデルになり、こんなのがあった。
『覚せい剤打たずにホームラン打とう!』(ニンマリと笑った清原が素敵)
もしかしたらヤバイ薬の常用者かも知れない。
見ず知らずの人間に後ろからいきなり
『おい、こらっ、どつきまわすぞ!』
などという人間は少ない。
しかもホットパンツだし・・・
この日は何故か腹が座っていた。
ここは一つ質問しないといけない。
『いやいや、このあたりをブラブラしてるだけで別に怪しいもんではないですよ』
ゆっくりと余裕な雰囲気を保ちながら言ったつもりだった。
でも実際はこんな風だったと思う。
『いややんやぁ、このあたるにはブラブラにてっててあややややもん』
100%言葉を噛んでしまっていた・・・
腹がすわってるのではないのか、オレ・・・
本当は完全にビビりまくっていた。
不可思議な表情をしながら長髪ホットパンツはずっとオレを睨みつけている。
気がつくと走っていた。
商店街を抜け、国道26号線まで走って逃げていた。
普段、あまり走ることがないので心臓は破裂しそうになり、呼吸困難に陥り、立ち止った時には吐き気さえ催していた。あまりの顔色の悪さと、呼吸困難でその場に座り込んでしまった。
国道26号線沿いの歩道で座り込むオレ・・・
道行く人は歩道の真ん中で座り込むオレを避けるように通り、ようやく普通に呼吸が出来るようになる頃、極度の自己嫌悪に陥っていた。
いいのか、オレ、このままだと負け犬決定やぞ!
自問自答を心の中で繰り返し、負け犬になるのは嫌なのでもう一度釜ヶ崎に戻った。
釜ヶ崎奥にある街頭TVが設置されている公園
何とか上の画像のある公園まで戻ってきた。
ホットパンツがいれば今度はこんな風に言い返してやろう。
『どつきまわしてみろやぃ!』(心の声)
残念ながらホットパンツはいなかった。
しかしその筋の人と思われる人が公園の周り、いたる所にいる。
やはりカメラを出せない。
しかしカメラで撮影しなければいけない。なんてってたってやらねばならない。(なんでやね〜ん)
釜ヶ崎にある消防署の画像、鉄壁のバリケードが施されている。
中を撮影してみた。
西成消防署海道出張所
この公園の斜め前は街頭TVが設置されている公園がある。その公園では山積みにされた建築残材が脇に置かれ、その残材を燃して釜ヶ崎にいる人は暖を取っている。消防署は目の前。その斜め向かいは西成警察署がある。
その並びには例の公園。
中では半丁賭博が行われていたり、ポーカー賭博もあるらしい。
昔、センターで建設の仕事をしていた時、仲の良い奴が入り浸っていた。
少し釜ヶ崎の裏手に入ると普通の民家も建ち並ぶ。
阪堺線の線路脇になる。なぜか阪堺線もこの付近だけは盛り土をし、普通の電車の線路のように簡単に入れないようにしている。
画像右手のフェンスは阪堺線の線路がある。
この辺りにはあまり労働者やホームレスはいない。
あいりん労働者センター
センター横手ではすでにお休みになっている人も。
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釜ヶ崎と呼ばれている所以は日雇労働者への配給を作るために釜で炊き出しをするため「釜ヶ崎」という名前が生まれたという説と、実際には日雇労働者の寄り場がこの地区に形成される以前の明治期から釜ヶ崎(西成郡今宮村釜ヶ崎)という呼称は存在していた。
当時、この暴動の渦中にいた事は今でも鮮明に記憶に残っている。
この場所にいたほとんどの労働者達が意味が分からなく投石や破壊を繰り返していたことは
本当の話で、今でも何か火種があればすぐに爆発してしまうだろう。
全ての労働者やホームレス達が悪い訳ではない。
はっきりと言える事は労働者やホームレス達は言い知れない不安を日々抱えていると言うことだろう。
その結果、暴動と言う行動に繋がりやすいということだろうか?
昔、センターで仕事を貰っていたいた時、仲良くなった人は今は釜ヶ崎では見つけることは
出来なかった。その人達は気の良い人たちだったが、事が起きると豹変していた。傍にいたオレも血が滾る感覚を味わうことになったが、あの1990年の暴動だけは今でもトラウマのように思い出す。
確かにスラムと言える街だけど、やはり自分自身、この地は憎めない。
薬、アルコール依存、賭博、その他色々とあるけど、エキサイティングで面白い街ということだけは間違いないと感じている。
あのホットパンツとはいつか決着を着けなければならないと思い、釜ヶ崎を後にした。2007:11/24
機動隊実力行使 西成1990年