関西に住んでいても中々足を踏み入れない場所や、知っていても行った事がなかったり、Deepな人の溜まる場所であったりと様々なDeepな関西を紹介するDeep関西!
大阪には色々な川が流れています。
中学生くらいの頃は大阪市内に流れている川はどこも汚く、汚れまくっていました。
現在でも汚れているのですけど、オレが中学生当時に比べると、少しは改善されているように思えたのですが・・・
【大阪の河 ビバ!尻無川編】総集編
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今回のシリーズとして大阪の川の特集をしたい思います。
シリーズといっても不定期シリーズなので次週もこの特集とは限らないのですけど、川を奇麗にする行政の取り組みや歴史にスポットを当て、皆さんと一緒に環境問題など考えて行けたらと思います。
現在、60代の人に今回取材した尻無川の事をお聞きすると、今はヘドロだらけのこの川も50年前には泳ぐことができたと言う。
歴史的にも尻無川は有名で幕末にはこの川のほとりには大阪の見廻り組となる番所もあったようだ。言わば大阪の新選組だったようだ。
現在では京セラドーム(旧大阪ドーム)が近くを流れ、この場所を起点にしている。
京セラドームそばを流れる尻無川
位置的に説明すると大阪市の大正区と港区の間を流れる川になります。
この尻無川にある橋はドーム近くの橋と天王寺から神戸までを結ぶ、国道43号線の2つの橋だけになる。
正確に言うとドーム近くにある橋は木津川と尻無川の分岐点となる橋なので、国道43号線だけが唯一の橋となるだろう。
国道43号線(阪神高速とその下には自転車も通れ、徒歩でも通れるようになっている)
まず大正区側から歩いてみよう。
大正区側
JR環状線大正駅を降り、高架沿いを歩くと尻無川脇の道路に出る。
上の画像を見て頂くとこんな風に少し廃れた感じだ。
建物右手側に尻無川が流れている。
船舶関係のお店だろうか、営業中でなかったのでよく分からなかったが、中々お洒落な感じのお店だ。
実はこの川、大正区、港区ともに海抜0mの特殊な地形で画像左手壁が堤防にもなっているのだ。所どころに防潮扉が設置され、台風時や災害時にはこの防潮扉が閉められ、街を水害から守っているのだ。
防潮扉
堤防の上から撮影した様子
実際に見ると海抜0mだと言うのが良くわかる。
元々、大正区は港区だったのだが1932年(昭和 7 年)に港区から分離され大正区となった。
江戸時代初期には、三軒家と難波島(難波の沖にある島であるところから:難波町==>現在の三軒屋の一部)だけだったものが、江戸時代後期になると新開拓によりほぼ現在の形になる。現在の町名はその開墾した人に由来するようだ。
京セラドームが出来、大正駅周辺はにわかに発展しだしている。
京セラドーム横手の木津川では水上カフェなどが実験的に営業されていたり、尻無川ではすでに水上カフェが営業されている。この日、詳しく水上カフェを取材しようとしたのだけど営業時間外だったようで後日詳しくレポートするつもりです。
上の画像右手奥に何やらスワンが映っているではないか!
スワン・・・
本当にスワンなのか?
落ちは言わなくても分かりますわね・・・
スワンボートなんですね。
しかしいきなりスワンボートを見つけると面白くて仕方無かった。
今回は大阪の河の歴史と環境問題について真面目なレポートを考えていたのですけど、さすがにこのスワンボートの目を見ていると自然に笑いが込み上げてくる。
何ともおかしいスワンボートの目(キョトンとした目は最高ですね)
どうでもいいことはさておき、このスワンボートに乗って川の上から対岸を撮影したい衝動に駆られる。しかし実際に乗れるのだろうか、このスワンボート!
詳しくは乗れるのかどうか分からなかったのだけど、どうも乗る事は可能のようだ。川に繋がれている何台かのスワンボートを発見しました。
これはきっと乗れるはず!
繋がれていた場所は水上カフェらしき場所の横手にある。この水上カフェが営業していたら絶対に乗っていたはずだ!(かなりテンションあがりました)
水上カフェ(この水上カフェの横手に停泊されていた。)
しかし残念ながらこの水上カフェはまだ営業時間外だったので断念・・・
朝早すぎたのが失敗・・・
しかし必ずこの水上カフェを取材してスワンボートに乗ってみたい。
尻無川には船舶も往来している。
実はこの尻無川沿いにオレは住んでいる。
朝早くには往来する船舶の汽笛が辺りに響く。
夏場にもなれば結構うるさいけど中々乙なものです。
大正区側にはこの先は工場や倉庫が多く立ち並んでいて、夜ともなれば閑散とした雰囲気になっている。
国道43号線付近の工場
工場や倉庫が立ち並ぶ不毛な雰囲気なのだけど、余っている土地ではお花畑なんかもあったり」するのがホッっとさせてくれる。
ここだけ見るとまるで別世界!
しかしすぐにまた工場や倉庫が立ち並ぶ。
川べりにはヨットやクルーザーも停泊している。
これが中々りっぱなのが多い。
少し先に進むと大きな水門が見える。
尻無川水門
どうやら次回、この水門が閉まるのは7月9日のようだ。
これもレポートしてみますので皆さん待っててくださいね。
http://www.eonet.ne.jp/~momosuke/gate.html尻無川水門閉鎖試験(防潮水門閉塞)
こちらのリンクに水門がどんな感じで閉まっていくのか詳しく画像で紹介しています。
実は近くに住んでいるのに見たことなかったです(笑
川べりから京セラドームを見た風景
この水門を超えると渡し船が存在する。
実質、この川には43号線しか橋は無い。短い川とはいえ、対岸に渡る手段として一つしか橋が無いのは不便だ。
43号線も通っていなかった時代はこの渡し船が大活躍していたようだ。
甚兵衛渡船と呼ばれ、オレも高校時代は3年間、この甚兵衛渡船で登下校していた。友達にこの話をすると必ず『ウソつけっ!』と言われるのだけど、本当に存在するのだ。
港区の住民であるオレは大正区にある高校に通っていた。
大正区には3つの高校がある。
泉尾工業、泉尾高校、大正高校と3校が隣接している。
これらに通う港区の高校生達は大体この甚兵衛渡船を利用して登下校していた。
中々、風情があって楽しかった。
少し分かり難いかもしれないけど、自転車も一緒に乗船出来る。
船賃は無料!時間にして2分くらいのものだけど、ポンポン船なので中々うるさいし面白い。大阪市が運営していてここの職員さん達も気さくな人達ばかりで高校生だった当時は、顔を覚えられたりして職員のおじさんと雑談したりしたものです。(あ〜懐かしい)
待合に貼られているパネルにはこの渡し船の由来が書かれている。
パネルにも記載されている通り、この尻無川はその昔、紅葉の名所だったようだ。
川幅ももっと小さく、紅葉を見物しに来る人も多かったようだ。
紅葉を見る為に茶店が立ち並び、大阪の庶民の目を楽しませたり蛤やシジミを取りにくる人達を楽しませてくれていたようです。
待合はこんな感じ
対岸(港区側)の船着場
今週はこの辺りに!
次週は港区側から見た尻無川と周辺には何故か瓦問屋が立ち並ぶ訳をお送りしていきたいと思います。
ちょっとDeep過ぎるかも知れませんが大正駅から尻無川付近には魅惑のスワンボート(水上カフェ)もあるし、駅周辺には激安焼肉(ホルモン中心)もあります。
かなりDeepな地域ですが歩いてみると結構楽しい。
短いけど甚兵衛渡しも無料なので一度乗ってもるのも面白いかもです。
水門が閉められている最中です。
通常の水門
7/9に水門が閉まると看板に告知してあったので高いビルから撮影致しました。詳しくは先週にもお伝えしたリンク先を参照してもらえればよくわかるのですが、水門が閉まるのにはかなりの時間を要する。
徐々に水門が下りて行く。
かなりゆっくりと下ります。傾いているのがわかるだろうか!
ここで仕事の電話が!
少し20分くらい話をしていて目を離した隙に、全部下りてしまった・・・
な、何たる不覚・・・
じっくりと水門が下りる瞬間をお伝えしたかったのに・・・
ゴメンなさい・・・
http://www.pref.osaka.jp/nishiosaka/index.html
水門の動くところは大阪府 西大阪治水事務所ホームページでもご覧頂けます。
電話取材を試みた所、7/23にまた試験運転されるようなので取材してきます。
大阪で水害がほとんど無いのは、この水門のおかげなのか、詳しく聞いて参りたいと思います。
さて、気を取り直して港区側からのレポートをお伝えしたいと思います。
堤防下に下りて、木津川からの分岐を見た風景。
鉄橋(JR)から向こうが木津川になります。水質はかなり汚れているような感じ。
油が浮いて汚れている。
水面を見るとブクブクと泡のようなものが出ている。近くに温泉が出たらしく、もしかしたらその温泉のメタンガスが出てきているのだろうか?それとも川底に溜まったヘドロから出るガスなのだろうか。
どちらにしろ、昔(今から15年〜20年前)に比べると匂いもましになったような気はする。事実、この尻無川では川底のヘドロをさらっている取組も行われているようだ。
でもまだまだ汚れている。
中学生くらいの時はこの川の側で遊び、友達と対岸(大正側)まで泳げるかどうか言い合いになり、対岸まで泳いだ事があるが、その夜、高熱にうなされた思い出がある。絶対にそんな事はしないように!
この辺りはほぼ海水。
その証拠にクラゲが浮いてたりする。
かなり汚れているのでクラゲもどこか元気なさそう。
そしてなぜかカメまで泳いでいた。
分かりにくいけどカメが頭を出して泳いでいた。(ウミガメではなかった)
デジカメのズームで撮影したので分かり難いけど、完全にカメでした。
淡水にいるカメでした。きっとどこかから迷い込んだんだと思います。
少し歩くと堤防にはかなりのアート作品?(落書きかも)がド派手に描かれていた。無許可なのだろうと思うのだけど、結構ウマく書けているような気がする。
倉庫らしき建物にも描かれていたので無許可ではないかも知れない。
よく一部の若者が真夜中に商店などのシャッターにする落書きとは少し違うような気がする。真意は分からない。
この辺りは(港区側)瓦屋と燃料屋が多い。
小さな船から中型の船で燃料を川べりに作られた燃料を保管する施設に貯めているようで毎日、そこそこの船の往来がある。
先週、お伝えした大正区側はJR大正駅を中心に少しづつ発展しているように思います。
しかし港区側はさほど変わった様子はありません。
尻無川の港区側にはどういう訳か、瓦問屋が立ち並び、現在でも営業しているようです。
瓦問屋の倉庫群
画像のように堤防沿いには瓦問屋の倉庫が立ち並んでいる。
堤防下には多くの瓦問屋の事務所が並んでいる。
倉庫の中はこんな感じになっていて、船で運搬された瓦をこの川沿いの倉庫に保管しているようだ。
倉庫内部
この尻無川沿いで昭和7年創業の老舗の瓦問屋を営んでいる同級生がいる。
小学校、中学校と同級生なので早速連絡を取り、なぜ、尻無川沿いに瓦屋が多いのか訊ねてみました。
やはり運搬上の問題らしく、昔は淡路島で作られた瓦を大阪に運搬する手段としてこの尻無川が大阪港に面し、便利だったようだ。
当時は淡路島から船で尻無川まで運ばれた瓦は、馬に積み替え、施行現場まで運ばれていたようだ。昭和7年というから今から75年も前の話。
その頃から現在まで、この辺りでは瓦問屋が未だに残っていると言うことらしい。かなりの数の瓦問屋が営業されているのだけど、これでも少なくなったようだ。
同級生の友達に日本瓦の話を詳しく聞いたのだけど、これがかなり面白い話なので、またDeep関西で取り上げてみたいと思います。
昭和7年創業の老舗瓦問屋・天戸瓦株式会社(ちなみに友人は4代目!)
少し先に歩くと釣船 海遊丸と書かれた看板が!
国道43号線の真下あたりに乗り場がある。
大阪市内に住んでいて釣り好きな人は一度、ここから乗って釣りに出かけるのもいいのではないでしょうか?
詳しくお話を聞きたかったのですが誰もいなかったので話を聞くことが出来ませんでした。
また少し先に歩くと今度は石材屋の石を置いてある場所になる。
この先には砂利を保管している会社や、大きな材木市場がある。
石材置場の画像の左手には尻無川の水門が見える。
この先は海、大阪港になる。
どちらかと言えばJR大正駅近辺が開けてきている。
京セラドームがそばにあり、水上カフェも営業し、尻無川の分岐する木津川では整備も進み、市民が集える場所に様変わりしている。
本当はその辺りも紹介したかったのだけど、Deepな視点から見れば尻無川だろう。奥に行けば行くほどに工場や瓦問屋が立ち並び、デートスポットには程遠いが、行ってみたらそこそこ面白い。
一言でいえば ”不毛な地“ だけど歴史があり、中々一般の人は知らなかったりする渡し船などもあるので天気の良い日は自転車で散策してみるのも一興かもしれない。
いつかこの川にも人々が集い、野鳥や紅葉の名所になることを祈りつつ、今週のDeep関西を終わります。
皆さん、暑いけど乗り切って行きましょう!
では、また来週!
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