関西に住んでいても中々足を踏み入れない場所や、知っていても行った事がなかったり、Deepな人の溜まる場所であったりと様々なDeepな関西を紹介するDeep関西!
先週の続きです。
今週は港区側から見た尻無川を歩いてみましょう。
【大阪の河 ビバ!尻無川編 2】
ちょうど、先週お伝えした水門が閉められている最中です。
通常の水門
7/9に水門が閉まると看板に告知してあったので高いビルから撮影致しました。詳しくは先週にもお伝えしたリンク先を参照してもらえればよくわかるのですが、水門が閉まるのにはかなりの時間を要する。
徐々に水門が下りて行く。
かなりゆっくりと下ります。傾いているのがわかるだろうか!
ここで仕事の電話が!
少し20分くらい話をしていて目を離した隙に、全部下りてしまった・・・
な、何たる不覚・・・
じっくりと水門が下りる瞬間をお伝えしたかったのに・・・
ゴメンなさい・・・
http://www.pref.osaka.jp/nishiosaka/index.html
水門の動くところは大阪府 西大阪治水事務所ホームページでもご覧頂けます。
電話取材を試みた所、7/23にまた試験運転されるようなので取材してきます。
大阪で水害がほとんど無いのは、この水門のおかげなのか、詳しく聞いて参りたいと思います。
さて、気を取り直して港区側からのレポートをお伝えしたいと思います。
堤防下に下りて、木津川からの分岐を見た風景。
鉄橋(JR)から向こうが木津川になります。水質はかなり汚れているような感じ。
油が浮いて汚れている。
水面を見るとブクブクと泡のようなものが出ている。近くに温泉が出たらしく、もしかしたらその温泉のメタンガスが出てきているのだろうか?それとも川底に溜まったヘドロから出るガスなのだろうか。
どちらにしろ、昔(今から15年〜20年前)に比べると匂いもましになったような気はする。事実、この尻無川では川底のヘドロをさらっている取組も行われているようだ。
でもまだまだ汚れている。
中学生くらいの時はこの川の側で遊び、友達と対岸(大正側)まで泳げるかどうか言い合いになり、対岸まで泳いだ事があるが、その夜、高熱にうなされた思い出がある。絶対にそんな事はしないように!
この辺りはほぼ海水。
その証拠にクラゲが浮いてたりする。
かなり汚れているのでクラゲもどこか元気なさそう。
そしてなぜかカメまで泳いでいた。
分かりにくいけどカメが頭を出して泳いでいた。(ウミガメではなかった)
デジカメのズームで撮影したので分かり難いけど、完全にカメでした。
淡水にいるカメでした。きっとどこかから迷い込んだんだと思います。
少し歩くと堤防にはかなりのアート作品?(落書きかも)がド派手に描かれていた。無許可なのだろうと思うのだけど、結構ウマく書けているような気がする。
倉庫らしき建物にも描かれていたので無許可ではないかも知れない。
よく一部の若者が真夜中に商店などのシャッターにする落書きとは少し違うような気がする。真意は分からない。
この辺りは(港区側)瓦屋と燃料屋が多い。
小さな船から中型の船で燃料を川べりに作られた燃料を保管する施設に貯めているようで毎日、そこそこの船の往来がある。
先週、お伝えした大正区側はJR大正駅を中心に少しづつ発展しているように思います。
しかし港区側はさほど変わった様子はありません。
尻無川の港区側にはどういう訳か、瓦問屋が立ち並び、現在でも営業しているようです。
瓦問屋の倉庫群
画像のように堤防沿いには瓦問屋の倉庫が立ち並んでいる。
堤防下には多くの瓦問屋の事務所が並んでいる。
倉庫の中はこんな感じになっていて、船で運搬された瓦をこの川沿いの倉庫に保管しているようだ。
倉庫内部
この尻無川沿いで昭和7年創業の老舗の瓦問屋を営んでいる同級生がいる。
小学校、中学校と同級生なので早速連絡を取り、なぜ、尻無川沿いに瓦屋が多いのか訊ねてみました。
やはり運搬上の問題らしく、昔は淡路島で作られた瓦を大阪に運搬する手段としてこの尻無川が大阪港に面し、便利だったようだ。
当時は淡路島から船で尻無川まで運ばれた瓦は、馬に積み替え、施行現場まで運ばれていたようだ。昭和7年というから今から75年も前の話。
その頃から現在まで、この辺りでは瓦問屋が未だに残っていると言うことらしい。かなりの数の瓦問屋が営業されているのだけど、これでも少なくなったようだ。
同級生の友達に日本瓦の話を詳しく聞いたのだけど、これがかなり面白い話なので、またDeep関西で取り上げてみたいと思います。
昭和7年創業の老舗瓦問屋・天戸瓦株式会社(ちなみに友人は4代目!)
少し先に歩くと釣船 海遊丸と書かれた看板が!
国道43号線の真下あたりに乗り場がある。
大阪市内に住んでいて釣り好きな人は一度、ここから乗って釣りに出かけるのもいいのではないでしょうか?
詳しくお話を聞きたかったのですが誰もいなかったので話を聞くことが出来ませんでした。
また少し先に歩くと今度は石材屋の石を置いてある場所になる。
この先には砂利を保管している会社や、大きな材木市場がある。
石材置場の画像の左手には尻無川の水門が見える。
この先は海、大阪港になる。
どちらかと言えばJR大正駅近辺が開けてきている。
京セラドームがそばにあり、水上カフェも営業し、尻無川の分岐する木津川では整備も進み、市民が集える場所に様変わりしている。
本当はその辺りも紹介したかったのだけど、Deepな視点から見れば尻無川だろう。奥に行けば行くほどに工場や瓦問屋が立ち並び、デートスポットには程遠いが、行ってみたらそこそこ面白い。
一言でいえば ”不毛な地“ だけど歴史があり、中々一般の人は知らなかったりする渡し船などもあるので天気の良い日は自転車で散策してみるのも一興かもしれない。
いつかこの川にも人々が集い、野鳥や紅葉の名所になることを祈りつつ、今週のDeep関西を終わります。
皆さん、暑いけど乗り切って行きましょう!
では、また来週!
先週の続きです。
今週は港区側から見た尻無川を歩いてみましょう。
【大阪の河 ビバ!尻無川編 2】
ちょうど、先週お伝えした水門が閉められている最中です。
通常の水門
7/9に水門が閉まると看板に告知してあったので高いビルから撮影致しました。詳しくは先週にもお伝えしたリンク先を参照してもらえればよくわかるのですが、水門が閉まるのにはかなりの時間を要する。
徐々に水門が下りて行く。
かなりゆっくりと下ります。傾いているのがわかるだろうか!
ここで仕事の電話が!
少し20分くらい話をしていて目を離した隙に、全部下りてしまった・・・
な、何たる不覚・・・
じっくりと水門が下りる瞬間をお伝えしたかったのに・・・
ゴメンなさい・・・
http://www.pref.osaka.jp/nishiosaka/index.html
水門の動くところは大阪府 西大阪治水事務所ホームページでもご覧頂けます。
電話取材を試みた所、7/23にまた試験運転されるようなので取材してきます。
大阪で水害がほとんど無いのは、この水門のおかげなのか、詳しく聞いて参りたいと思います。
さて、気を取り直して港区側からのレポートをお伝えしたいと思います。
堤防下に下りて、木津川からの分岐を見た風景。
鉄橋(JR)から向こうが木津川になります。水質はかなり汚れているような感じ。
油が浮いて汚れている。
水面を見るとブクブクと泡のようなものが出ている。近くに温泉が出たらしく、もしかしたらその温泉のメタンガスが出てきているのだろうか?それとも川底に溜まったヘドロから出るガスなのだろうか。
どちらにしろ、昔(今から15年〜20年前)に比べると匂いもましになったような気はする。事実、この尻無川では川底のヘドロをさらっている取組も行われているようだ。
でもまだまだ汚れている。
中学生くらいの時はこの川の側で遊び、友達と対岸(大正側)まで泳げるかどうか言い合いになり、対岸まで泳いだ事があるが、その夜、高熱にうなされた思い出がある。絶対にそんな事はしないように!
この辺りはほぼ海水。
その証拠にクラゲが浮いてたりする。
かなり汚れているのでクラゲもどこか元気なさそう。
そしてなぜかカメまで泳いでいた。
分かりにくいけどカメが頭を出して泳いでいた。(ウミガメではなかった)
デジカメのズームで撮影したので分かり難いけど、完全にカメでした。
淡水にいるカメでした。きっとどこかから迷い込んだんだと思います。
少し歩くと堤防にはかなりのアート作品?(落書きかも)がド派手に描かれていた。無許可なのだろうと思うのだけど、結構ウマく書けているような気がする。
倉庫らしき建物にも描かれていたので無許可ではないかも知れない。
よく一部の若者が真夜中に商店などのシャッターにする落書きとは少し違うような気がする。真意は分からない。
この辺りは(港区側)瓦屋と燃料屋が多い。
小さな船から中型の船で燃料を川べりに作られた燃料を保管する施設に貯めているようで毎日、そこそこの船の往来がある。
先週、お伝えした大正区側はJR大正駅を中心に少しづつ発展しているように思います。
しかし港区側はさほど変わった様子はありません。
尻無川の港区側にはどういう訳か、瓦問屋が立ち並び、現在でも営業しているようです。
瓦問屋の倉庫群
画像のように堤防沿いには瓦問屋の倉庫が立ち並んでいる。
堤防下には多くの瓦問屋の事務所が並んでいる。
倉庫の中はこんな感じになっていて、船で運搬された瓦をこの川沿いの倉庫に保管しているようだ。
倉庫内部
この尻無川沿いで昭和7年創業の老舗の瓦問屋を営んでいる同級生がいる。
小学校、中学校と同級生なので早速連絡を取り、なぜ、尻無川沿いに瓦屋が多いのか訊ねてみました。
やはり運搬上の問題らしく、昔は淡路島で作られた瓦を大阪に運搬する手段としてこの尻無川が大阪港に面し、便利だったようだ。
当時は淡路島から船で尻無川まで運ばれた瓦は、馬に積み替え、施行現場まで運ばれていたようだ。昭和7年というから今から75年も前の話。
その頃から現在まで、この辺りでは瓦問屋が未だに残っていると言うことらしい。かなりの数の瓦問屋が営業されているのだけど、これでも少なくなったようだ。
同級生の友達に日本瓦の話を詳しく聞いたのだけど、これがかなり面白い話なので、またDeep関西で取り上げてみたいと思います。
昭和7年創業の老舗瓦問屋・天戸瓦株式会社(ちなみに友人は4代目!)
少し先に歩くと釣船 海遊丸と書かれた看板が!
国道43号線の真下あたりに乗り場がある。
大阪市内に住んでいて釣り好きな人は一度、ここから乗って釣りに出かけるのもいいのではないでしょうか?
詳しくお話を聞きたかったのですが誰もいなかったので話を聞くことが出来ませんでした。
また少し先に歩くと今度は石材屋の石を置いてある場所になる。
この先には砂利を保管している会社や、大きな材木市場がある。
石材置場の画像の左手には尻無川の水門が見える。
この先は海、大阪港になる。
どちらかと言えばJR大正駅近辺が開けてきている。
京セラドームがそばにあり、水上カフェも営業し、尻無川の分岐する木津川では整備も進み、市民が集える場所に様変わりしている。
本当はその辺りも紹介したかったのだけど、Deepな視点から見れば尻無川だろう。奥に行けば行くほどに工場や瓦問屋が立ち並び、デートスポットには程遠いが、行ってみたらそこそこ面白い。
一言でいえば ”不毛な地“ だけど歴史があり、中々一般の人は知らなかったりする渡し船などもあるので天気の良い日は自転車で散策してみるのも一興かもしれない。
いつかこの川にも人々が集い、野鳥や紅葉の名所になることを祈りつつ、今週のDeep関西を終わります。
皆さん、暑いけど乗り切って行きましょう!
では、また来週!
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