舞洲スラッジセンター。
(ライターFT)
夜の舞洲スラッジセンター
とにかく世界的な建築家が建てただけあり存在感は抜群。
前回も書きましたがとにかく周りの風景と同化しないのが残念。
舞洲という不毛な埋立地に聳え立つ大阪市のシンボル。
夜はまた違った顔を見せてくれます。
日が落ちるにつれ建物の表情も移り変わります。
1928年、オーストリアのウィーンに生まれた画家で建築家、フリーデンスライヒ・フンデルトワッサーの作品としては自然との共存という彼の理念と周りの風景のギャップが残念でならない。
本来ならヨーロッパの素敵な街並みの中に溶け込む彼の斬新で前衛的なデザインが景色と同化し、彼のデザインを引き立てているが、この舞洲のスラッジセンターはどうしても周りと同化していない。
この画像は通りの向こうに聳え立つフンデルトデザインのゴミ焼却場になりますが、周りの風景と同化するどころか不気味にさえ感じる。
これがヨーロッパの街並みの夜ならもっと素敵にこのデザインは感じることだろう。
舞洲スラッジセンターに戻ろう。
こちらもやはり不気味な感じが否めない。
この建物の周りを1週してみた。
夜なので街頭がない場所ではうまく撮影出来なかったので残念だけど、誰でもこの遊歩道を歩くことが出来る。
小川が流れ、小さな池には錦鯉などが泳いでいてかなり楽しい。
が!
裏手に回ると何故か
禁じられた遊びが大音量で流されている。
時間ごとに流されているようですが不気味さに拍車をかけ、恐怖さえ感じる。
しかもオルゴール調の禁じられた遊びなのだ。
かなり怖い・・・
フンデルトヴァッサーは日本ツウとも言われている。
東洋の自然などにも影響を受けていたようで、そうした思想からこのスラッジセンターのデザインを引き受けたのかも知れない。
ただ彼の素晴らしさは舞洲スラッジセンターを見れば一目瞭然なのは確かなこと。
大阪市の無駄使いを批判するべきであって、彼の作品を批判するものではない。
ただ、残念なことは街並みに同化してこそ彼の作品は元の何倍にもなって、季節の移り変わりや人々が集う憩いの場所としてそのデザインの力を発揮するのではないでしょうか?
この建物が京都や奈良の自然豊かな街並みに建てられていたら、また違った評価が出ていたことは間違いないのではないだろうか?
不気味に鳴り響く、禁じられた遊びと聳え立つ塔が何とも不気味な雰囲気になっている。
しかし彼の作品はやはり存在感はあり、じっとその場に立ち尽くし、見つめ続けているほど圧倒される。
(ライターFT)
夜の舞洲スラッジセンター
とにかく世界的な建築家が建てただけあり存在感は抜群。
前回も書きましたがとにかく周りの風景と同化しないのが残念。
舞洲という不毛な埋立地に聳え立つ大阪市のシンボル。
夜はまた違った顔を見せてくれます。
日が落ちるにつれ建物の表情も移り変わります。
1928年、オーストリアのウィーンに生まれた画家で建築家、フリーデンスライヒ・フンデルトワッサーの作品としては自然との共存という彼の理念と周りの風景のギャップが残念でならない。
本来ならヨーロッパの素敵な街並みの中に溶け込む彼の斬新で前衛的なデザインが景色と同化し、彼のデザインを引き立てているが、この舞洲のスラッジセンターはどうしても周りと同化していない。
この画像は通りの向こうに聳え立つフンデルトデザインのゴミ焼却場になりますが、周りの風景と同化するどころか不気味にさえ感じる。
これがヨーロッパの街並みの夜ならもっと素敵にこのデザインは感じることだろう。
舞洲スラッジセンターに戻ろう。
こちらもやはり不気味な感じが否めない。
この建物の周りを1週してみた。
夜なので街頭がない場所ではうまく撮影出来なかったので残念だけど、誰でもこの遊歩道を歩くことが出来る。
小川が流れ、小さな池には錦鯉などが泳いでいてかなり楽しい。
が!
裏手に回ると何故か
禁じられた遊びが大音量で流されている。
時間ごとに流されているようですが不気味さに拍車をかけ、恐怖さえ感じる。
しかもオルゴール調の禁じられた遊びなのだ。
かなり怖い・・・
フンデルトヴァッサーは日本ツウとも言われている。
東洋の自然などにも影響を受けていたようで、そうした思想からこのスラッジセンターのデザインを引き受けたのかも知れない。
ただ彼の素晴らしさは舞洲スラッジセンターを見れば一目瞭然なのは確かなこと。
大阪市の無駄使いを批判するべきであって、彼の作品を批判するものではない。
ただ、残念なことは街並みに同化してこそ彼の作品は元の何倍にもなって、季節の移り変わりや人々が集う憩いの場所としてそのデザインの力を発揮するのではないでしょうか?
この建物が京都や奈良の自然豊かな街並みに建てられていたら、また違った評価が出ていたことは間違いないのではないだろうか?
不気味に鳴り響く、禁じられた遊びと聳え立つ塔が何とも不気味な雰囲気になっている。
しかし彼の作品はやはり存在感はあり、じっとその場に立ち尽くし、見つめ続けているほど圧倒される。