前回に続き、明石屋万吉こと小林佐兵衛の軌跡をたどりながら
大阪の街を探訪しております。
今回は物語の中盤から後半にかけて登場するある事件を検証しながら街探索をしてみたいと思います。
土佐稲荷神社
(ライターFT)
『明石屋万吉(小林佐兵衛)という人物 其の参
土佐稲荷神社〜堺、妙国寺』
大阪に住んでいれば、この物語の舞台でもある大阪市内の地名が随所に出てくる。今回探訪する神社、土佐稲荷神社は大阪市内でも最近目まぐるしく発展を遂げている人気スポット ”堀江” のはずれに位置する。
フランス兵殺傷事件
時は1868年、江戸時代末期、1868年(1866年、慶応二年)の2年前にはお互いに憎み合っていた薩摩藩と長州藩が同盟を結ぶ薩長同盟があった時、翌年には王政復古の大号令が発令されるという歴史が大きく動いたとんでもない時代だった。
そんな国際情勢にも大変な時期に当時大阪から陸路で堺に入ろうとしたフランス領事一行が堺の警備を任されていた土佐藩士と衝突する。
衝突の理由は当時の外国事務局(幕府統括)と呼ばれる機関からの連絡ミスだった。連絡を受けていなかった土佐藩の藩士は職務を遂行するため『通す事罷りならぬ』と、中途から引き返させてしまう。
フランス領事一行を出迎えるために堺港で待機していたフランス軍艦デュブレクス号が堺に入港、上陸する。当時の土佐藩は勤皇派(倒幕派)と佐幕派(幕府派)が同時にいる藩だった。中でも勤皇派(倒幕派)は尊王攘夷をスローガンにしていたので外国人=敵と判断、しかも上陸したフランス兵の素行の悪さもあり、土佐藩勤皇派(倒幕派)はフランス兵と小競り合いを始める。
そして土佐隊旗(土佐藩の命ともいえる)を倒してしまったフランス兵。
士官1名、水兵10名、計11名のフランス兵が土佐藩士たちによって切り殺されてしまった。
この辺りの詳しい内容も浪華遊侠伝の中に詳しく書かれているのでご興味のある方は読んでみるといいだろう。
まさに国際問題に発展、フランス公使ロッシュは下手人の斬罪(処刑)、賠償金15万ドル、政府と藩主の謝罪、など五ケ条からなる抗議書を提示し、幕府はこの過酷な要求を飲まざるを得なくなる。
同年、2月23日に堺の妙国寺境内にて、土佐藩隊長、箕浦猪之吉ら20名に切腹を申し渡される。
この神社の境内で下手人選びをくじ引きで決定する。
この事件の現場にいた土佐藩士29名のうち、20名をくじ引きで決めなければいけない。
処刑場となる堺の妙国寺に出発する場所として大阪市西区(現在の)にある土佐稲荷神社から出発となった。
この土佐稲荷神社、現在ではお花見の季節、たくさんの人々が賑わうとても桜の美しい神社になっています。浪華遊侠伝ではこの土佐稲荷神社でのエピソードが詳しく書かれていてかなり面白い。
現在の土佐稲荷神社横手は公園になっていて、桜の木がたくさん植えられている。お花見のシーズンになると少しだけど屋台が出て、花見客でいっぱいになる。
処刑される20名の選定もここで行われ、覚悟を決めた土佐藩士たちの心情がリアルに描かれている。さすが、司馬遼太郎、作者の才能だと思います。
もちろん、浪華遊侠伝の主人公、明石屋万吉もこの土佐稲荷神社から堺の妙国寺までを土佐藩士と一緒に歩き、処刑を見ることとなる。
この妙国寺での土佐藩士の切腹の模様はフランス人だけでなく、諸外国の人々に ”ハラキリ” という言葉を広めることとなる。
その模様は次週、妙国寺編で詳しくレポートしたいと思います。
大阪の人気スポット堀江のはずれ、正しい住所は北堀江になります。
この辺りは人気スポットから少し離れた位置、人気スポットまで歩いて数分の場所、普段は高級マンションなどが立ち並び閑静な住宅街となっている。
土佐稲荷神社横手には大阪市立中央図書館もあり、住みやすく人気のエリアになります。
神社裏手のパン屋さんは以前、デイリーSKINでご紹介したカレーパンの美味しいホットクロス (デイリーSKIN掲載記事)というパン屋さんもある。
ホットクロス
話は神社に戻る。
この神社を作る費用を捻出したのが三菱財閥の創設者の岩崎弥太郎と言われている。事実、この神社横手に岩崎弥太郎邸跡もある。
岩崎弥太郎は土佐藩出身の商人で後の土佐海援隊の経理担当にもなる人物。
岩崎弥太郎
神社境内にはお馬さんの銅像も!
境内は静かでいい雰囲気。
この日、小雨がちらつく日でしたが静かで美しい神社でした。
人気スポット堀江で遊んだあと、ここまで歩いて数分。
ちょっと都会の喧噪を離れ、しっくりとこの神社でデートなんてのもいいかも知れません。
晴れた秋の日ならなおさら良いかも知れません。
裏手にはドーム公園、おいしいパン屋さん、もしも雨なら神社裏手には中央図書館があるので秋の読書でも。
人気スポット堀江でショッピングの後、ここまでブラブラ歩いて数分。
デートコースのバリエーションに加えてみて下さいね。
では次週は堺、妙国寺編です!
土佐藩士、壮絶、世界に ”ハラキリ“ という言葉を広めた事件の顛末!
ご期待下さい。
大阪の街を探訪しております。
今回は物語の中盤から後半にかけて登場するある事件を検証しながら街探索をしてみたいと思います。
土佐稲荷神社
(ライターFT)
『明石屋万吉(小林佐兵衛)という人物 其の参
土佐稲荷神社〜堺、妙国寺』
大阪に住んでいれば、この物語の舞台でもある大阪市内の地名が随所に出てくる。今回探訪する神社、土佐稲荷神社は大阪市内でも最近目まぐるしく発展を遂げている人気スポット ”堀江” のはずれに位置する。
フランス兵殺傷事件
時は1868年、江戸時代末期、1868年(1866年、慶応二年)の2年前にはお互いに憎み合っていた薩摩藩と長州藩が同盟を結ぶ薩長同盟があった時、翌年には王政復古の大号令が発令されるという歴史が大きく動いたとんでもない時代だった。
そんな国際情勢にも大変な時期に当時大阪から陸路で堺に入ろうとしたフランス領事一行が堺の警備を任されていた土佐藩士と衝突する。
衝突の理由は当時の外国事務局(幕府統括)と呼ばれる機関からの連絡ミスだった。連絡を受けていなかった土佐藩の藩士は職務を遂行するため『通す事罷りならぬ』と、中途から引き返させてしまう。
フランス領事一行を出迎えるために堺港で待機していたフランス軍艦デュブレクス号が堺に入港、上陸する。当時の土佐藩は勤皇派(倒幕派)と佐幕派(幕府派)が同時にいる藩だった。中でも勤皇派(倒幕派)は尊王攘夷をスローガンにしていたので外国人=敵と判断、しかも上陸したフランス兵の素行の悪さもあり、土佐藩勤皇派(倒幕派)はフランス兵と小競り合いを始める。
そして土佐隊旗(土佐藩の命ともいえる)を倒してしまったフランス兵。
士官1名、水兵10名、計11名のフランス兵が土佐藩士たちによって切り殺されてしまった。
この辺りの詳しい内容も浪華遊侠伝の中に詳しく書かれているのでご興味のある方は読んでみるといいだろう。
まさに国際問題に発展、フランス公使ロッシュは下手人の斬罪(処刑)、賠償金15万ドル、政府と藩主の謝罪、など五ケ条からなる抗議書を提示し、幕府はこの過酷な要求を飲まざるを得なくなる。
同年、2月23日に堺の妙国寺境内にて、土佐藩隊長、箕浦猪之吉ら20名に切腹を申し渡される。
この神社の境内で下手人選びをくじ引きで決定する。
この事件の現場にいた土佐藩士29名のうち、20名をくじ引きで決めなければいけない。
処刑場となる堺の妙国寺に出発する場所として大阪市西区(現在の)にある土佐稲荷神社から出発となった。
この土佐稲荷神社、現在ではお花見の季節、たくさんの人々が賑わうとても桜の美しい神社になっています。浪華遊侠伝ではこの土佐稲荷神社でのエピソードが詳しく書かれていてかなり面白い。
現在の土佐稲荷神社横手は公園になっていて、桜の木がたくさん植えられている。お花見のシーズンになると少しだけど屋台が出て、花見客でいっぱいになる。
処刑される20名の選定もここで行われ、覚悟を決めた土佐藩士たちの心情がリアルに描かれている。さすが、司馬遼太郎、作者の才能だと思います。
もちろん、浪華遊侠伝の主人公、明石屋万吉もこの土佐稲荷神社から堺の妙国寺までを土佐藩士と一緒に歩き、処刑を見ることとなる。
この妙国寺での土佐藩士の切腹の模様はフランス人だけでなく、諸外国の人々に ”ハラキリ” という言葉を広めることとなる。
その模様は次週、妙国寺編で詳しくレポートしたいと思います。
大阪の人気スポット堀江のはずれ、正しい住所は北堀江になります。
この辺りは人気スポットから少し離れた位置、人気スポットまで歩いて数分の場所、普段は高級マンションなどが立ち並び閑静な住宅街となっている。
土佐稲荷神社横手には大阪市立中央図書館もあり、住みやすく人気のエリアになります。
神社裏手のパン屋さんは以前、デイリーSKINでご紹介したカレーパンの美味しいホットクロス (デイリーSKIN掲載記事)というパン屋さんもある。
ホットクロス
話は神社に戻る。
この神社を作る費用を捻出したのが三菱財閥の創設者の岩崎弥太郎と言われている。事実、この神社横手に岩崎弥太郎邸跡もある。
岩崎弥太郎は土佐藩出身の商人で後の土佐海援隊の経理担当にもなる人物。
岩崎弥太郎
神社境内にはお馬さんの銅像も!
境内は静かでいい雰囲気。
この日、小雨がちらつく日でしたが静かで美しい神社でした。
人気スポット堀江で遊んだあと、ここまで歩いて数分。
ちょっと都会の喧噪を離れ、しっくりとこの神社でデートなんてのもいいかも知れません。
晴れた秋の日ならなおさら良いかも知れません。
裏手にはドーム公園、おいしいパン屋さん、もしも雨なら神社裏手には中央図書館があるので秋の読書でも。
人気スポット堀江でショッピングの後、ここまでブラブラ歩いて数分。
デートコースのバリエーションに加えてみて下さいね。
では次週は堺、妙国寺編です!
土佐藩士、壮絶、世界に ”ハラキリ“ という言葉を広めた事件の顛末!
ご期待下さい。