(ライターFT)
時間という概念を探る
時間には、直線的に周囲とは関係なく過去から未来に向かって規則正しく流れるニュートンの絶対的時間とアインシュタインの相対性理論が唱える時間と空間が一体となり、空間の影響を受ける相対的時間があり、量子力学の世界ではニュートン的な時間が流れているという。ミクロの世界で有効な量子力学の理論とマ クロの世界で有効なアインシュタインの相対性理論を統合する理論を求める営みがされているが、そこで問題になるのが時間で、時間の消失が統合の一つの解決になる。バーバーさんも時間は存在しないという立場を採っている。
🌟科学・医学・哲学を巡って ジュリアン・バーバーという科学者、あるいは時間とは
ジュリアン・バーバー博士はイギリスの物理学者であり、量子重力理論と科学史の専門家。
時は流れていると我々は思い、感じている。それは誰もが無意識にそう思っていると云ってもいい。人間の営みの中で、時間は流れているのであり、人間から時間が離れた時、時間は流れていないのではないのかという考えを持つ学者がいる。
マサチューセッツ工科大学の哲学助教授、ブラッド・スコウ博士は時間は止まっていると考える学者である。「現在・過去・未来は同じ時空間に広がっていて、それが散在しているといる状態にある。なので、流れるという表現は間違いだ」という考えになる。
時間は流れない!過去、現在、未来は同一に存在する。
ジュリアン・バーバーもブラッド・スコウもそのように考えている。
時間という概念は、人間が創り出した物である。ないと不便だから。とても合理的で時間を基準にして我々は生活しいきている。ウィキペディアによると以下のように書かれている。
ジュリアン・バーバーやブラッド・スコウは証明したわけではなく、あくまでも仮説に過ぎない。しかし我々が信じきた時の流れというのは人間が利便性を求めたに過ぎない事象である。時間は相対的な存在であり、猛スピードで移動している人はじっとしている人より時の流れが遅くなる。高い山のてっぺんにいる人と平地にいる人では(受ける重力の大きさが違うから)、やはり時間の流れが違う。その差がわずかな為に、人間は気が付かないだけなのだ。
イタリア人物理学者、カルロ・ロヴェッリによると、時間の正体がどこまでわかってきたかをやさしく解説している。時間が過去から未来へと一方的に流れるように見えるのは、時間が本質的にそうであるからではなく、たんに我々の限られた知覚のせいでそう見えるだけに過ぎないのかもしれない、と指摘している。
我々はこの世界が「モノ」からできていると考えることもできる。「物質」でもいいし「存在」でもいい、なんであれ「ある」ものからできていると。一方でこの世界は「出来事」からできているという考え方もできる。「発生」でもいいし「過程」でもいい、なんであれ「起きる」こと、長続きせず、常に変化し続け、永続しないことから世界はできていると──。物理学の最も基礎の部分で「時間の概念」の崩壊が起きているというのは、この二つの見方のうち前者が解体しているのだ。それは「時間を止めた静止状態」で世界を見るのではなく、世界を「はかなく一時的なもの」の集まりだと認識することである。(中略)
モノと出来事の違いは、モノが永続するのに対し出来事は限られた時間しか存在しないことだ。モノの典型例は石である。「この石は、明日はどこにあるだろう」という疑問には意味がある。一方、キスは出来事だ。「このキスは、明日はどこにあるだろう」という疑問には意味がない。この世界は、石のようなモノが連なってできているのではなく、キスのような出来事が連なってできているのだ。🌟("The Order of Time" 86〜87ページ)
イタリアで2017年に出た本の英訳になります。
訳わかりませんけど(笑
流れていると思った時間ですが、実はそうではないという仮説。この仮説を証明することは可能なのか。証明した所で、時間に振り回される我々ですが、時間は便利なモノだとは思いませんか?
時間という概念を探る
時間には、直線的に周囲とは関係なく過去から未来に向かって規則正しく流れるニュートンの絶対的時間とアインシュタインの相対性理論が唱える時間と空間が一体となり、空間の影響を受ける相対的時間があり、量子力学の世界ではニュートン的な時間が流れているという。ミクロの世界で有効な量子力学の理論とマ クロの世界で有効なアインシュタインの相対性理論を統合する理論を求める営みがされているが、そこで問題になるのが時間で、時間の消失が統合の一つの解決になる。バーバーさんも時間は存在しないという立場を採っている。
🌟科学・医学・哲学を巡って ジュリアン・バーバーという科学者、あるいは時間とは
ジュリアン・バーバー博士はイギリスの物理学者であり、量子重力理論と科学史の専門家。
時は流れていると我々は思い、感じている。それは誰もが無意識にそう思っていると云ってもいい。人間の営みの中で、時間は流れているのであり、人間から時間が離れた時、時間は流れていないのではないのかという考えを持つ学者がいる。
マサチューセッツ工科大学の哲学助教授、ブラッド・スコウ博士は時間は止まっていると考える学者である。「現在・過去・未来は同じ時空間に広がっていて、それが散在しているといる状態にある。なので、流れるという表現は間違いだ」という考えになる。
時間は流れない!過去、現在、未来は同一に存在する。
ジュリアン・バーバーもブラッド・スコウもそのように考えている。
時間という概念は、人間が創り出した物である。ないと不便だから。とても合理的で時間を基準にして我々は生活しいきている。ウィキペディアによると以下のように書かれている。
「時間」という言葉は、以下のような意味で使われている。時刻。つまり、時の流れの中の一点のこと。
ある時刻と別のある時刻の間(時 - 間)。およびその長さ。
空間と共に、認識のまたは物体界の成立のための最も基本的で基礎的な形式をなすものであり、いっさいの出来事がそこで生起する枠のように考えられているもの。
ある時刻と別のある時刻の間(時 - 間)。およびその長さ。
空間と共に、認識のまたは物体界の成立のための最も基本的で基礎的な形式をなすものであり、いっさいの出来事がそこで生起する枠のように考えられているもの。
ジュリアン・バーバーやブラッド・スコウは証明したわけではなく、あくまでも仮説に過ぎない。しかし我々が信じきた時の流れというのは人間が利便性を求めたに過ぎない事象である。時間は相対的な存在であり、猛スピードで移動している人はじっとしている人より時の流れが遅くなる。高い山のてっぺんにいる人と平地にいる人では(受ける重力の大きさが違うから)、やはり時間の流れが違う。その差がわずかな為に、人間は気が付かないだけなのだ。
イタリア人物理学者、カルロ・ロヴェッリによると、時間の正体がどこまでわかってきたかをやさしく解説している。時間が過去から未来へと一方的に流れるように見えるのは、時間が本質的にそうであるからではなく、たんに我々の限られた知覚のせいでそう見えるだけに過ぎないのかもしれない、と指摘している。
我々はこの世界が「モノ」からできていると考えることもできる。「物質」でもいいし「存在」でもいい、なんであれ「ある」ものからできていると。一方でこの世界は「出来事」からできているという考え方もできる。「発生」でもいいし「過程」でもいい、なんであれ「起きる」こと、長続きせず、常に変化し続け、永続しないことから世界はできていると──。物理学の最も基礎の部分で「時間の概念」の崩壊が起きているというのは、この二つの見方のうち前者が解体しているのだ。それは「時間を止めた静止状態」で世界を見るのではなく、世界を「はかなく一時的なもの」の集まりだと認識することである。(中略)
モノと出来事の違いは、モノが永続するのに対し出来事は限られた時間しか存在しないことだ。モノの典型例は石である。「この石は、明日はどこにあるだろう」という疑問には意味がある。一方、キスは出来事だ。「このキスは、明日はどこにあるだろう」という疑問には意味がない。この世界は、石のようなモノが連なってできているのではなく、キスのような出来事が連なってできているのだ。🌟("The Order of Time" 86〜87ページ)
イタリアで2017年に出た本の英訳になります。
訳わかりませんけど(笑
流れていると思った時間ですが、実はそうではないという仮説。この仮説を証明することは可能なのか。証明した所で、時間に振り回される我々ですが、時間は便利なモノだとは思いませんか?