ボーダー 1 デラックス版 (アクションコミックス)
(ライターFT)
クラッシンック•コミックの名作を探れ!
1986年から1989年までの約3年間にわたり漫画アクションで連載されていたコミックで、何とも面白く考えさせられるコミック、マンガです。
粗暴な主人公、蜂須賀、素性不明の久保田、浪人生の木村達の迷走を描いた物語で、自分r達から見ての「あちら側」と「こちら側」の境界線上にいるという意味のタイトル「ボーダー」になります。
このコミック(マンガ)が連載されていたのは世の中がバブルで浮かれまくっていた時代です。主人公の蜂須賀というオヤジは、こんなバブリーで華やかな時代に家賃3000円という元、アパートの共同便所だった部屋に住んでいる。10年間蜂須賀はバックパッカー等で旅をしており、帰国して日本のルール(社会のルール)には縛られず、真実を悟ったかのような人物。粗暴でバカでどうしようもない人物だけど、彼の放つ言葉はとても哲学的で考えさせられるセリフが多い。
作者は原作、狩撫麻礼(カリブマーレイ)、絵、たなか亜希夫。
狩撫さんはこのボーダーだけでなくとても有名な原作者さんです。このペンネームだけでなくひじかた憂峰、土屋ガロン、椿屋の源など複数のペンネームでも活躍している多彩な作家さんです。
(ライターFT)
クラッシンック•コミックの名作を探れ!2
このマンガが好きになった理由の一つとして、社会の仕組みにに捕われない主人公の生き方に共感したのかも知れない。破天荒そのものの蜂須賀の行動は、こっけいで格好わるい。筋も通っていなかったり気分次第でわめき散らすは、泣き喚くわの何ともつかみ所のない蜂須賀の行動に目が離せない。蜂須賀に大きな期待を寄せてしまう読者は、常に蜂須賀の行動に空振りさせられてしまう。
「無為こそが過激。なにもしないでブラブラしているのがホントは一番チカラ技なのさ」
「おまえは評論家か?評論家は男のオバサンだぞ」
「この悲しみが狂気に変わらないうちに俺は旅に出る」
「魂は伝達可能だ、それだけは信じている」
「極貧と無限大は等しいってことさ、どちらも消費からスポイルされる」
「この人間交差点野郎が!」
「コンビニの余りモノだ、涙ぐむほどのもんかよ」
「俺は二人同時に求愛したんだ。そして俺は世間から気違い扱いされた」
「夢とロマンを探す思いに駆られて、男は一生フラフラ迷走しなきゃならねえんだ」
レトロな漫画blog より抜粋
蜂須賀の名言はこれだけではない。
彼の行動に常にがっかりさせられる読者は、たまに蜂須賀が放つ言葉に魅了されてしまう。
このマンガの意図は価値観をどのように感じ取るのかに尽きると思います、蜂須賀は世の中の常識やトレンドを自分の価値観として生きている多くの人、つまり大衆を「あちら側」と呼んでいます。当時はバブル真っ盛りの浮かれた世の中でした。時は移り変わり、浮かれた世相ではなくなりましたが、蜂須賀の言う「あちら側」の価値観の人達は未だに健在で、誰もが未だに社会に適合しようとしています。主人公、蜂須賀は絶対に「あちら側」にはなびかない、そこだけは筋を通している。
原作者がボブ•マーレイやブルーハーツに魂を感じており、そこに体制に対してのささやかな抵抗をし続ける主人公蜂須賀の生き方は、蜂須賀と同様、反体制側の人にとってはバイブルになる。
「あちら側」と「こちら側」、そしてその境界線上にいる蜂須賀と久保田、木村の3人の主人公はいつも中途半端な境界線上(ボーダー)にスタンスを取る。
中途半端な生き方をあえてしているのか、それしか出来ないのかは読む人の気持ちと感性でいい。
とにかく楽しめる痛快とはいかない名作です。
(ライターFT)
クラッシンック•コミックの名作を探れ!
1986年から1989年までの約3年間にわたり漫画アクションで連載されていたコミックで、何とも面白く考えさせられるコミック、マンガです。
粗暴な主人公、蜂須賀、素性不明の久保田、浪人生の木村達の迷走を描いた物語で、自分r達から見ての「あちら側」と「こちら側」の境界線上にいるという意味のタイトル「ボーダー」になります。
このコミック(マンガ)が連載されていたのは世の中がバブルで浮かれまくっていた時代です。主人公の蜂須賀というオヤジは、こんなバブリーで華やかな時代に家賃3000円という元、アパートの共同便所だった部屋に住んでいる。10年間蜂須賀はバックパッカー等で旅をしており、帰国して日本のルール(社会のルール)には縛られず、真実を悟ったかのような人物。粗暴でバカでどうしようもない人物だけど、彼の放つ言葉はとても哲学的で考えさせられるセリフが多い。
作者は原作、狩撫麻礼(カリブマーレイ)、絵、たなか亜希夫。
狩撫さんはこのボーダーだけでなくとても有名な原作者さんです。このペンネームだけでなくひじかた憂峰、土屋ガロン、椿屋の源など複数のペンネームでも活躍している多彩な作家さんです。
(ライターFT)
クラッシンック•コミックの名作を探れ!2
このマンガが好きになった理由の一つとして、社会の仕組みにに捕われない主人公の生き方に共感したのかも知れない。破天荒そのものの蜂須賀の行動は、こっけいで格好わるい。筋も通っていなかったり気分次第でわめき散らすは、泣き喚くわの何ともつかみ所のない蜂須賀の行動に目が離せない。蜂須賀に大きな期待を寄せてしまう読者は、常に蜂須賀の行動に空振りさせられてしまう。
「無為こそが過激。なにもしないでブラブラしているのがホントは一番チカラ技なのさ」
「おまえは評論家か?評論家は男のオバサンだぞ」
「この悲しみが狂気に変わらないうちに俺は旅に出る」
「魂は伝達可能だ、それだけは信じている」
「極貧と無限大は等しいってことさ、どちらも消費からスポイルされる」
「この人間交差点野郎が!」
「コンビニの余りモノだ、涙ぐむほどのもんかよ」
「俺は二人同時に求愛したんだ。そして俺は世間から気違い扱いされた」
「夢とロマンを探す思いに駆られて、男は一生フラフラ迷走しなきゃならねえんだ」
レトロな漫画blog より抜粋
蜂須賀の名言はこれだけではない。
彼の行動に常にがっかりさせられる読者は、たまに蜂須賀が放つ言葉に魅了されてしまう。
このマンガの意図は価値観をどのように感じ取るのかに尽きると思います、蜂須賀は世の中の常識やトレンドを自分の価値観として生きている多くの人、つまり大衆を「あちら側」と呼んでいます。当時はバブル真っ盛りの浮かれた世の中でした。時は移り変わり、浮かれた世相ではなくなりましたが、蜂須賀の言う「あちら側」の価値観の人達は未だに健在で、誰もが未だに社会に適合しようとしています。主人公、蜂須賀は絶対に「あちら側」にはなびかない、そこだけは筋を通している。
原作者がボブ•マーレイやブルーハーツに魂を感じており、そこに体制に対してのささやかな抵抗をし続ける主人公蜂須賀の生き方は、蜂須賀と同様、反体制側の人にとってはバイブルになる。
「あちら側」と「こちら側」、そしてその境界線上にいる蜂須賀と久保田、木村の3人の主人公はいつも中途半端な境界線上(ボーダー)にスタンスを取る。
中途半端な生き方をあえてしているのか、それしか出来ないのかは読む人の気持ちと感性でいい。
とにかく楽しめる痛快とはいかない名作です。