(ライターFT)
1950年に公開されたヒットしたモノ
1950年と言えば、戦後間もない時代です。
そろそろ復興にも拍車がかかった時代だと思いますが、この頃の娯楽は間違いなく映画だったと思います。この時代に興行収入1位の映画というのが、小津安二郎監督の「宗方姉妹」という作品です。
【解説】
小津安二郎が松竹を離れ、はじめて新東宝で製作した作品。日本の伝統的な価値観を大事にし、ニヒリストめいた夫に耐え続ける姉と、そんな姉に反発する現代的な妹の対比を通して、戦後の日本の家庭の崩壊を描く。原作は大佛次郎。
【あらすじ】
京都在住の父(笠智衆)から遠く離れ、生真面目で淑やかな節子(田中絹代)と陽気で奔放な満里子(高峰秀子)の姉妹は、節子の連れ合い三村(山村聰)と三人で東京に暮らしている。節子の営むバーの経営がうまく立ち行かない中、職につきもせず退廃的な日々を過ごす義兄の姿に強い不満を持っていた満里子は、姉の幸せを想うがゆえ、節子を三村と別れさせ、かつての恋人・田代(上原謙)とよりを戻させたいと考える。
●宗方姉妹(映画)/年代流行より抜粋
実はこの映画、解説にもある通り姉と妹を通し、当時の家庭の崩壊を描いている秀作になります。
そして1950年と言えば、約70年も昔のこと。
主な舞台は、同時代の東京(東京都)、京都(京都府京都市)、神戸(兵庫県神戸市)、奈良(奈良県奈良市)がロケ地となり、東京は、主人公の節子(田中絹代)、満里子(高峰秀子)姉妹が住む街、京都は、父・宗方忠親(笠智衆)の住む街、神戸は田代宏(上原謙)が住む街として物語は描かれています。
モノクロ作品が苦手な方にはお勧めできないですが、当時の東京、京都、奈良の街並みが垣間見れるだけでもノスタルジーを感じられる作品ですね。
一方、ハリウッドでは世界初の長編アニメーション「白雪姫」が公開され大ヒットしています。でも、これは1937年の作品で、1950年に、日本では公開されています。戦争の影響ですが、当時の日本では大ヒットしています。
恐ろしいクオリティですね。
1950年当時は戦後で、あまり物資も多くなかったらしいのですが、映画や音楽、ファッションなどは、現在と同様、オシャレを楽しむ人が多く、オードリー・ヘップバーンの影響もあり、ネッカチーフが流行っていたとか。
この頃は、アメリカへの憧れが高かったようです。
1950年代後半になると、ロカビリー族と呼ばれる人たちに憧れた若者が多くいたそうです。
日本では日劇ウエスタン・カーニバルをきっかけにブームが起こったそうで、1958年2月から1977年8月まで、日本劇場で開催されていた音楽フェスティバルのようです。1977年までって、長く続いていたんですね。
名前にあるように、元はウエスタンバンドが集まり、有楽町蚕糸会館6階の東京ヴィデオ・ホールで行われていたそうですが、
アメリカではプレスリーが大人気だった時代です。
とにかく熱狂的なファンが多かったみたいですね。
戦後はジャズ、カントリーが流行し、ロックンロール、プレスリーが流行ります。ロックロールとカントリーを融合したスタイルのロカビリーですが、当時の平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎が御三家と呼ばれ、失神者続出するほどの人気っぷりです。
当時、東京での流行の最先端は六本木と言われており、現在の不良ファッションの先駆けでしたね。
なんとも言えないですね。
「チュウチュウトレイーん、汽車がでルゥ〜〜」
たまらないですね。
日本語歌詞がなんとも素敵ですね。
アメリカではプレスリーが大人気、素敵な時代ですね。
ちょっと不良っぽい感じが流行っていたんですね。
男子達はロカビリーで女子にモテたい、女子達は誰もが加賀まりこに憧れたそうです。
六本木族とは戦後復興期を終え、高度成長期に向かう頃、六本木に集まった若者を意味していたそうで、六本木に集まったロカビリー族が後に六本木族と呼ばれるようになったらしく、戦後復興も終わり、若者達はアメリカの流行を追いかけていた時代ですね。
1950年代、素敵な時代ですね。
(ライターFT)
1960年に公開されたヒットしたモノ
1960年代は映画ブームでした。
昭和の大スター石原裕次郎が世間を賑わせていました。
すでに1956年に「太陽の季節」で銀幕デビュー、原作は石原慎太郎という兄弟で原作、主演という華々しいデビューとなる。同年、「狂った果実」も上映され、石原裕次郎はまさに50年代後半から60年代にかけての大スターでした。
すでに何十本と主演作品を務めていましたが、1960年7月に公開された「天下を取る」という映画が、邦画の興行収入No1となります。
【解説】
源氏鶏太の週刊誌連載小説を、「拳銃無頼帖 電光石火の男」の松浦健郎が脚色し、「邪魔者は消せ」の牛原陽一が監督した裕次郎のサラリーマンもの。撮影は「あじさいの歌」の横山実。
【あらすじ】
東洋物産株式会社では、新入社員たちが尾山人事係長に連れられて社長室を拝観していた。尾山が無人の椅子に最敬礼をした時、いきなり、社長の椅子に腰をかけた男がいた。大門大太だ。
電話が鳴り、バー・湖のユリ子から社長へ電話がかかってきた。ユリ子は大太に今晩来るようにと言った。
尾山は大太にあきれ、同じく新入社員で娘の沢子をスパイとして大太につけることにした。
同じ大学から入社した亀村は、大太に天下を取らせるため参謀になろうと言った。大太と亀村はその夜早速"湖"に現れた。
●天下を取る(映画)/年代流行より抜粋
コメディーらしく、内容はイマイチらしいです。
この頃になると、石原裕次郎はかなりの本数、主演を務めています。
脚本も多分、いい加減に作られたのでしょう。
若い頃の石原裕次郎は、兄の慎太郎が、何をやってもトントン拍子に才能を発揮できることに、コンプレックスを抱いてたらしいのです。
1956年に「太陽の季節」が公開されると、一躍勇次郎はスターダムにのし上がります。さらに。
『狂った果実』は、中平康監督の代表作でもあり、この作品をパリで観た映画評論家時代のフランソワ・トリュフォー監督から高評価を受け、フランスのヌーヴェル・ヴァーグへの影響を与えた作品として、フランスにあるシネマテークで日本映画第1号として保管された重要な作品と言われています。
1950年代ロカビリー族、六本木族、50年代後半から60年代にかけて太陽族が当時の若者達の間で流行りました。
石原裕次郎という俳優は時代にうまく乗り、映画に出まくりました。当時、テレビはまだ一家に一台ではありませんでした。そんな中、映画は国民の娯楽でした。とにかく公開される邦画の主演は全て石原裕次郎というくらい、主演を務めていました。さらに兄の原作映画で主演を務めるというのは当時でも今でもセンセーショナルだったのではないでしょうか。
日本で公開された1960年の洋画の興行収入第一位は「ベン・ハー」という映画でした。
【解説】
ユダヤの豪族の息子、ベン・ハーの数奇な運命を通してローマの圧政とキリストの最期を6年半の製作期間と54億円の巨費を投じて描いた一大スペクタクル。
【あらすじ】
些細な出来事から旧友メッサラの裏切りにあい、奴隷船送りとなったベン・ハーはそこで命を救ったローマの将軍の養子となる。
束の間の安住の後再び故郷へ戻った彼は、別れた家族が獄中死したと聞かされ戦車競技に出場する事を決意する。そこではメッサラとの宿命の対決が待っていた。
●ベン・ハー(映画)/年代流行より抜粋
すでにハリウッドでは映画ビジネスが現在のスタイルの礎となっており、6年半の製作期間と54億円の巨費を投じて描いた一大スペクタクル作品となっています。
1959年『ベン・ハー』が日本で初上映した際に、昭和天皇が夫妻でご鑑賞されたそうです。
1960年代にランキング1位になっていた曲が、小林旭の「ズンドコ節」という曲です。小林旭も石原裕次郎につぐスターでした。
最近では氷川きよしがリメイクしてヒットした曲ですね。
2枚目俳優でしたが、曲はコミカルなものが多かったのですね。
1960年代、素敵な時代ですね。