(ライターFT)
少子化対策を諦めた日本
安倍総理は、以前、「少子化対策は困難」と」発言していました。安倍総理にはお子さんがいない。だから少子化対策プランが施行されているにも関わらず、全く進んでいないと多くの人が、少子化が上手くいっていないと揶揄しています。
単純に、給料が少なく、経済的な問題で子供が誕生し難いと考えていたのですが、戦後の出生率はどうだったのでしょうか?
グラフを見ると、2017年は出生数は100万人を割っています。一番多かったのが1949年の戦後です。
2000年以降の出生数のグラフですが、これもかなり下がってきています。
1966年の丙午(ひのえうま)の時は縁起が悪いということで、女の子を生まないようにしたらしく、グラフでは極端に出生数が落ち込んでいます。
これは自然発生的に落ち込んだのではなく、意識的に縁起が悪いとされ、産むのを控えた夫婦が多かったということになります。
コントロール出来るじゃんかいな!
合計特殊出生率、つまり「一人の女性が一生のうちに出産する子供の平均数」が下がってきているのも少子化の原因の一つですね。
現在の合計特殊出生率は1.43になります。一人の女性が生涯で二人に満たない合計特殊出生率になります。合計特殊出生率は2005年が1.26まで落ち込みます。以降は徐々に上向きにはなっています。
合計特殊出生率は1.5を超えないと人口は増えないと言われています。
戦後の合計特殊出生率が高かった理由はなぜでしょう。
戦後の戦後の合計特殊出生率は4人から5人でした。現在と比べると3倍もの開きがあります。
昔の日本は男尊女卑社会、女性は子供を産んでナンボという考え方がまかり通っていた時代でした。子育てに忙しい毎日だったことを想像できますね。
当時の女性はキャリアを積もうにも、それが許されない時代でした。
1980年代に男女雇用機会均等法が制定され、女性も男性と肩を並べて働くことが法律で保障されました。
団塊ジュニア世代の女性達は、働くことを許され、キャリアを目指すことを許されました。
さらに深刻なのは、男性と同じように働くことを推奨される一方で、出産にタイムリミットがあることについてはほとんど語られてきませんでした。
そしてワーカホリックと言われる日本人気質と仕事がライフスタイルのほとんどを費やす、日本の社会も原因と言われています。
そして乳児の死亡率も下がり、新生児の死亡率も下がっています。
シリーズで考えていきたい少子化対策です。