アジア、特に中国、韓国は靖国神社参拝問題についてかなり神経質だ。
背景に戦争という2文字があることは理解できる、しかし戦争で亡くなった人を祀る神社の存在自体を否定するのは明らかに内政干渉だ。
(ライターFT)
マスコミはなぜ靖国問題を報じるのか?
考えられる正当な理由と、海外、特に近隣諸国(中国、韓国)を中心に考えているからということが挙げられる。日本なんだから日本人の視点をまず最初に、そして海外の視点はどうとらえているかを考え報道すべきなのに、靖国問題に関してはまずは中国、韓国の反対派の映像の垂れ流しが多くみられる。
“日本のマスコミの偏向性”
靖国神社に政府の要人が参拝するのは過去の戦争の日本の犠牲者に対する敬意ではないのか?
色々な意見はあると思います。
それはまず第一に,「国のために戦って死ねば神様になれるという回路」を国として認めることである(井上ひさし,『朝日新聞』八月九日夕)。この回路があったからこそ,この国の政府は,生きながらにして爆弾になれ,魚雷になれと若者に命じ,一六・五%の命中率しかない特攻に送り込むことができたのである。否,それは国のためではなく,〈天皇のため〉であった。実際,靖国神社においては,天皇にとって逆賊だった西郷隆盛たちは排除されているのに対して,官軍の戦没者は,「天皇のために忠死したという唯一点で,国によって神として祀られ,現人神天皇の礼拝を受けるという無上の栄誉」(『国史大辞典』吉川弘文堂)を与えられている。この靖国神社があってはじめて,天皇と国家と兵士を結ぶ回路が完結するのである。それゆえ靖国神社は,戦時中「軍国主義を普及徹底させるうえで,絶大な威力を発揮し,日本国民を侵略戦争にかりたてる精神的支柱としての役割を担うことができた」(同書)のである。多くの反対を押し切って首相が靖国神社参拝を強行することは,少なくともこの回路を追認することになることは明らかである。さらに,現在再び若者たちをこの回路に誘い込もうとする意図があると理解されても仕方がない。
そこから第二の意味が生じる。すなわち,首相の靖国参拝は,「日本は紛争解決の手段として戦争を選びもするぞ」(井上ひさし)と公言することに他ならない。それゆえ,「天皇の軍隊によって運命をひどく悪い方へ変えられてしまったアジアの国々」が危機感をもつのは当然である。アジアから見たとき,靖国神社は日本の軍国主義と侵略戦争の象徴だからである。それは,一九七八年東条英機元首相ら一四名のA級戦犯が,「昭和殉難者」として合祀されたことによって強まった。この戦争指導者たちを神として祀る靖国神社に首相が参拝し「心をこめて敬意と感謝の意をささげる」行為は,過去の侵略戦争を肯定する立場に日本政府が立つこと,その上で現在それを踏襲しようとしていることを内外に表明することにほかならない(中江要介「総理は靖国公式参拝を決行すべきではない」,『世界』九月号)。したがって,中国や韓国による靖国参拝批判は内政干渉だという主張(中嶋嶺雄「なぜ中国は反対するのか」,『Voice』九月号)は成立しない。それが,この国の基本的な外交・軍事方針を示し,近隣諸国にはっきりした脅威をもたらすものである以上,重要な外交問題だからである。
なぜ靖国参拝が問題なのかより抜粋
「日本は紛争解決の手段として戦争を選びもするぞ」(井上ひさし)
こんな一文がありますが、これはあり得ない考え方ではないでしょうか?
どう考えても偏向報道のような気がしてならない。
とても左よりな考え方のような気がします。
元々、戊辰戦争の戦死者を弔う為に作られた神社であり、その後の西南戦争もあり西郷隆盛が祀られていないのはあたりまえではないか。
政教分離という言葉があり法律でも定められている。確かに理解は出来るが一国の総理が年に一度、戦争という悲劇を繰り返さないために戦死者が祀られた神社でお参りする事がそれほど近隣諸国を刺激する行為なのか?
言いがかりをつけられる手助けをしているような気がしてならない。
背景に戦争という2文字があることは理解できる、しかし戦争で亡くなった人を祀る神社の存在自体を否定するのは明らかに内政干渉だ。
(ライターFT)
マスコミはなぜ靖国問題を報じるのか?
考えられる正当な理由と、海外、特に近隣諸国(中国、韓国)を中心に考えているからということが挙げられる。日本なんだから日本人の視点をまず最初に、そして海外の視点はどうとらえているかを考え報道すべきなのに、靖国問題に関してはまずは中国、韓国の反対派の映像の垂れ流しが多くみられる。
“日本のマスコミの偏向性”
靖国神社に政府の要人が参拝するのは過去の戦争の日本の犠牲者に対する敬意ではないのか?
色々な意見はあると思います。
それはまず第一に,「国のために戦って死ねば神様になれるという回路」を国として認めることである(井上ひさし,『朝日新聞』八月九日夕)。この回路があったからこそ,この国の政府は,生きながらにして爆弾になれ,魚雷になれと若者に命じ,一六・五%の命中率しかない特攻に送り込むことができたのである。否,それは国のためではなく,〈天皇のため〉であった。実際,靖国神社においては,天皇にとって逆賊だった西郷隆盛たちは排除されているのに対して,官軍の戦没者は,「天皇のために忠死したという唯一点で,国によって神として祀られ,現人神天皇の礼拝を受けるという無上の栄誉」(『国史大辞典』吉川弘文堂)を与えられている。この靖国神社があってはじめて,天皇と国家と兵士を結ぶ回路が完結するのである。それゆえ靖国神社は,戦時中「軍国主義を普及徹底させるうえで,絶大な威力を発揮し,日本国民を侵略戦争にかりたてる精神的支柱としての役割を担うことができた」(同書)のである。多くの反対を押し切って首相が靖国神社参拝を強行することは,少なくともこの回路を追認することになることは明らかである。さらに,現在再び若者たちをこの回路に誘い込もうとする意図があると理解されても仕方がない。
そこから第二の意味が生じる。すなわち,首相の靖国参拝は,「日本は紛争解決の手段として戦争を選びもするぞ」(井上ひさし)と公言することに他ならない。それゆえ,「天皇の軍隊によって運命をひどく悪い方へ変えられてしまったアジアの国々」が危機感をもつのは当然である。アジアから見たとき,靖国神社は日本の軍国主義と侵略戦争の象徴だからである。それは,一九七八年東条英機元首相ら一四名のA級戦犯が,「昭和殉難者」として合祀されたことによって強まった。この戦争指導者たちを神として祀る靖国神社に首相が参拝し「心をこめて敬意と感謝の意をささげる」行為は,過去の侵略戦争を肯定する立場に日本政府が立つこと,その上で現在それを踏襲しようとしていることを内外に表明することにほかならない(中江要介「総理は靖国公式参拝を決行すべきではない」,『世界』九月号)。したがって,中国や韓国による靖国参拝批判は内政干渉だという主張(中嶋嶺雄「なぜ中国は反対するのか」,『Voice』九月号)は成立しない。それが,この国の基本的な外交・軍事方針を示し,近隣諸国にはっきりした脅威をもたらすものである以上,重要な外交問題だからである。
なぜ靖国参拝が問題なのかより抜粋
「日本は紛争解決の手段として戦争を選びもするぞ」(井上ひさし)
こんな一文がありますが、これはあり得ない考え方ではないでしょうか?
どう考えても偏向報道のような気がしてならない。
とても左よりな考え方のような気がします。
元々、戊辰戦争の戦死者を弔う為に作られた神社であり、その後の西南戦争もあり西郷隆盛が祀られていないのはあたりまえではないか。
政教分離という言葉があり法律でも定められている。確かに理解は出来るが一国の総理が年に一度、戦争という悲劇を繰り返さないために戦死者が祀られた神社でお参りする事がそれほど近隣諸国を刺激する行為なのか?
言いがかりをつけられる手助けをしているような気がしてならない。