康芳夫,オウム真理教の教祖がこの人の事務所に出入りしていた
とか、「伝説のプロデューサー」とか呼ばれている人物。
(ライターFT)
「伝説のプロデューサー」康芳夫 2
東京西神田にて、駐日中華民国大使の侍医の中国人の父と日本人の母との間に、
三人兄妹の次男として生まれる。暁星小学校を経て海城高校卒業。横浜国立大学
に入学するも1年で中退し、1958年に東京大学に入学する。
東大在学中の1961年に五月祭の企画委員長を務め、ジャズフェスティバルや文化人
によるティーチインを開催する。これがプロデュース業の原点となる。
このときに石原慎太郎と知己を得て、1962年に彼の紹介で「赤い呼び屋」と呼ばれた
神彰が主催するアート・フレンド・アソシエーションに就職。本格的に興行師としての仕事を開始した。
明日も続きです。