昨日のデイリーSKINでインドのダリット(不可触民)のことに少し触れました。
あまりにも悲惨な現状を知り心を痛めております。
(ライターFT)
インドってひどい2
ウィキぺディアよりの抜粋です。
不可触民の歴史 [編集]社会階層概念としての不可触民は、紀元前2世紀から紀元後2
世紀にかけて成立したと考えられる『マヌ法典』にはまだみられず、歴史的には、西暦
100年頃から300年頃にかけて成立したとされる『ヴィシュヌ法典』に初めて現れる。5世紀から6世紀にかけて成立したといわれる『カーティヤーヤナ法典』では、不可触民の規定が
さらに明瞭なものになったところから、このころ、差別される諸集団を一括して不可触民とす
る考え方が定着していったものと考えられる。
『マヌ法典』には「聖典ヴェーダを読む声にシュードラが不届きにも耳を傾けたなら、熱く解
けた鉛を耳に流し込んで罰すべし」と記されている。その後、一生族(エーカジャ)に属する
シュードラに対する差別は穏やかなものになっていくが、不可触民への差別はむしろ強化さ
れていったものと考えられる。
不可触民を含めた身分秩序が、このように、1,500年以上にわたって歴史的につくりだされ
てきたのである。歴史学的には、今日みられる社会階層としての不可触民の本格的な
形成はインド中世社会の形成期以降であると考えられている。すなわち7世紀以降、インド
では、定着農耕社会のいっそう顕著な拡大がみられ、各地に自立的な村落共同体が形成
されていったが、それにともなって山間地に居住していた諸部族が農村集落に吸収され、
皮革細工や集落の清掃などに従事するようになった。そして、これと並行して形成されてい
くヴァルナ・ジャーティ制(カースト制)において、彼らの多くが不可触民として社会的に位置
づけられるようになったと考えられる。
不可触民は、ヒンドゥー社会の中でも最下層階級であり、「触れると穢れる人間」として扱わ
れてきた。不可触民は、触れてはいけないだけでなく、見ることも、近づくことも、その声を聞
くことさえいけないとされた。また、他のヒンドゥー教徒と同じ神を信仰しているにもかかわらず
、ヒンドゥー寺院への立ち入りが禁止され、ヴァルナに属する上位4身分のヒンドゥー教徒(カ
ースト・ヒンドゥー)たちが使用する井戸や貯水池の使用さえも禁止されていた。このよう
に、不可触民(ダリット)は、社会的に分離され、きびしい差別の被害をこうむってきた。
マヌ法典やヴィシュヌ法典など聞きなれない言葉があります。
この悲惨で悲しい差別社会から人々を救おうという日本人がいます。
佐々井秀嶺(ささい しゅうれい)
インド国内では表向き、この身分差別は禁止とされている。
しかし実態はそうではなく今でも少女がレイプされそのあと焼き殺されている。
胸が痛む。
なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか
昨日も上記リンクを貼ったがもう一度貼ります。
これがインドの現実なんですね。