さて本格的に年も明け、世の中が動き出しました。
高齢化社会に失業率、政治不信と今の日本は窮地に立たされているといっても過言ではない。
これからさらに深刻化する高齢化に伴い、今の日本が最優先しなければいけない問題、それが福祉といえるのではないでしょうか?
(ライターFT)
明石屋万吉と日本の福祉
『明石屋万吉(小林佐兵衛)という人物 まとめ』
明石屋万吉こと小林佐兵衛
筆者である私が歴史上最も尊敬する人物というのが明石屋万吉こと小林佐兵衛という幕末、大阪にいた侠客なんです。
侠客と福祉と一見関係ないと思われますが、実はこの人物、自費で助産院を建てたり、今で言う職業訓練校なども創設したり、日本の福祉の礎となった人物なんです。
現在の日本の福祉の現状は欧米諸国と比べるとかなり遅れています。
それは不況も一因ながら、元々福祉という概念の遅れも指摘されています。
しかしながら国は様々な政策を行い、福祉の充実を図っているのも事実です。
進化する保健福祉推進計画
1989年、高齢社会に備えて掲げられた「ゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10カ年戦略)」では、都道府県・各市町村が地域に応じた「老人保健福祉計画」を策定しました。当時、急務とされた特別養護老人ホームなどの施設の整備などが柱とされています。
次いで1994年にはそれが全面的に改定された新ゴールドプランを策定。このときは在宅介護の充実を図ることに力を入れ、ヘルパーの人数の確保などに力を入れています。
さらに2000年にはゴールドプラン21が掲げられました。ここではお年寄りの尊厳を保ちながらの介護を重視し、これまでのゴールドプランにはなかったグループホームの整備も施策に加えられました。さらに介護保険制度の導入により、グループホーム利用に対する負担が軽くなっています。
自立支援を理念とする介護保険制度
2000年に導入された介護保険制度では、要介護状態になった方が「今できることに応じて、自立した日常生活を営むこと」を実現するために必要なサービスの提供を目的としています。つまり、単に身の回りの世話をするということだけでなく、「高齢者の自立支援」を理念とした制度なのです。こうした理念は、住み慣れた地域での生活をつづけることができるよう、多様な在宅サービスを重視している点にもあらわれています。
記事抜粋
上に挙げた政策は文章を読むと完璧な政策に感じますが、実は様々な問題が山積みです。
そして地域によっても違いが出ているのも確かなことなんです。
大阪市は生活保護率が全国でNo1となります。
生活保護を食い物にした悪徳業者など手を変え品を変え、いまだ出ているのも現状になります。
少し前に生活保護者を斡旋してそこからむしりとる事件がありました。
このような事件も今は少なくなってきたようですが、やり方を変えて新たな詐欺が起こりだしています。
高齢者だけではなく高齢者の視点、大人の視点、子供の視点、ケガをしている人の視点、乳児を連れている人の視点など、視点を変えれは福祉の多岐にわたる取り組みも考えられます。
例えばホームレスの人がそうした困窮した生活から抜け出す為に、自立支援センターという場所が設けられています。
しかしそこに入るには当のホームレス達はその存在すら知らないのが現状だったりします。
国や市町村が大っぴらにインフォメーションしていないのが現状で、NPOなどのボランティア団体や役所の福祉課が行っている巡回相談などでホームレス達に個別に当たっているのが現状です。
児童福祉も最近ようやく、痛ましい事件がおこり、マスコミなどで報道され注目されてきましたが、ホームレス問題に関してはまだまだ行き届いていないというのが現状だと思います。
先日、機会があり、元ホームレスの人と話をすることが出来ました。
その方は会社の業務縮小にあたり、失職し、ホームレスとなりました。
空き缶など集め、一日足を棒にして1,000円に満たない収入で野宿生活をしていたそうです。
始めは公園でテントなどを張り生活していましたが、都市整備という名目でテントも撤去され、ビルの谷間などを転々としていたそうです。
そこで巡回相談に出会い、自立支援センターに入所することが出来、そこでヘルパーの資格を取得し、老人介護のグループホームで採用され、現在は完全に社会復帰しておられます。
その方がホームレス生活を送ったのが約半年。
ようやく巡回相談と出会い、自立支援センターの存在を知り、入所となり見事社会復帰を果たしました。
もし、自立支援センターという存在をもっとはやく知っていたら!
彼はそのように私に話をしてくれました。
春から秋だったので寒さに苦しむことは無かったようですが、季節が冬だったらとその方は考えるだけでも恐ろしいと話していました。
ホームレスの中には自立支援センターに入所するのを「自由がない」という理由で入所を拒むケースもあるようですが、大多数のホームレス達はただ存在を知らないという理由で未だにホームレス生活を続けている人も多く存在するという話です。
その一つの大きな要因が、公園などのテントの撤去とされています。
テントなどの分かりやすい場合、巡回相談員も探しやすいのですが、撤去後、そこにいたテント生活者達は、行政を恐れ役所という存在自体を恐れている傾向があるようです。
明石屋万吉こと小林佐兵衛は冒頭にも書きましたが幕末に福祉という概念が無かった時代、自費で助産院や職業訓練学校のようなものを建てた人物です。
残念ながら万吉自身も経済的な余裕が無くなり、そうした施設を閉鎖させざることを余儀なくされたのですが、彼が残した功績は今も福祉の思想に残されています。
司馬遼太郎著の「浪華遊侠伝 俄」という作品の最後のほうで一番の子分に時計修理を学ばせます。
そうした彼の行動は自身が幼少の頃、父が蒸発し、母と妹を養って行かないとならないという状況から生まれたものだと思います。
そうして彼は殴られ屋として賭場荒らしをはじめ、そこで得たお金をほとんど母に託します。
そして幕末の喧騒期には佐幕も勤皇もないと言い張り、「安全往来」をスローガンに当時の幕府派も反幕府派も関係なく助けます。
福祉の基本は人を助けるということではないでしょうか?
複雑な現代社会のあり方を論じるのも大事かと思いますが、人を助け、人の役に立つという単純なことが福祉の原点なのではないでしょうか?
高齢化社会に失業率、政治不信と今の日本は窮地に立たされているといっても過言ではない。
これからさらに深刻化する高齢化に伴い、今の日本が最優先しなければいけない問題、それが福祉といえるのではないでしょうか?
(ライターFT)
明石屋万吉と日本の福祉
『明石屋万吉(小林佐兵衛)という人物 まとめ』
明石屋万吉こと小林佐兵衛
筆者である私が歴史上最も尊敬する人物というのが明石屋万吉こと小林佐兵衛という幕末、大阪にいた侠客なんです。
侠客と福祉と一見関係ないと思われますが、実はこの人物、自費で助産院を建てたり、今で言う職業訓練校なども創設したり、日本の福祉の礎となった人物なんです。
現在の日本の福祉の現状は欧米諸国と比べるとかなり遅れています。
それは不況も一因ながら、元々福祉という概念の遅れも指摘されています。
しかしながら国は様々な政策を行い、福祉の充実を図っているのも事実です。
進化する保健福祉推進計画
1989年、高齢社会に備えて掲げられた「ゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10カ年戦略)」では、都道府県・各市町村が地域に応じた「老人保健福祉計画」を策定しました。当時、急務とされた特別養護老人ホームなどの施設の整備などが柱とされています。
次いで1994年にはそれが全面的に改定された新ゴールドプランを策定。このときは在宅介護の充実を図ることに力を入れ、ヘルパーの人数の確保などに力を入れています。
さらに2000年にはゴールドプラン21が掲げられました。ここではお年寄りの尊厳を保ちながらの介護を重視し、これまでのゴールドプランにはなかったグループホームの整備も施策に加えられました。さらに介護保険制度の導入により、グループホーム利用に対する負担が軽くなっています。
自立支援を理念とする介護保険制度
2000年に導入された介護保険制度では、要介護状態になった方が「今できることに応じて、自立した日常生活を営むこと」を実現するために必要なサービスの提供を目的としています。つまり、単に身の回りの世話をするということだけでなく、「高齢者の自立支援」を理念とした制度なのです。こうした理念は、住み慣れた地域での生活をつづけることができるよう、多様な在宅サービスを重視している点にもあらわれています。
記事抜粋
上に挙げた政策は文章を読むと完璧な政策に感じますが、実は様々な問題が山積みです。
そして地域によっても違いが出ているのも確かなことなんです。
大阪市は生活保護率が全国でNo1となります。
生活保護を食い物にした悪徳業者など手を変え品を変え、いまだ出ているのも現状になります。
少し前に生活保護者を斡旋してそこからむしりとる事件がありました。
このような事件も今は少なくなってきたようですが、やり方を変えて新たな詐欺が起こりだしています。
高齢者だけではなく高齢者の視点、大人の視点、子供の視点、ケガをしている人の視点、乳児を連れている人の視点など、視点を変えれは福祉の多岐にわたる取り組みも考えられます。
例えばホームレスの人がそうした困窮した生活から抜け出す為に、自立支援センターという場所が設けられています。
しかしそこに入るには当のホームレス達はその存在すら知らないのが現状だったりします。
国や市町村が大っぴらにインフォメーションしていないのが現状で、NPOなどのボランティア団体や役所の福祉課が行っている巡回相談などでホームレス達に個別に当たっているのが現状です。
児童福祉も最近ようやく、痛ましい事件がおこり、マスコミなどで報道され注目されてきましたが、ホームレス問題に関してはまだまだ行き届いていないというのが現状だと思います。
先日、機会があり、元ホームレスの人と話をすることが出来ました。
その方は会社の業務縮小にあたり、失職し、ホームレスとなりました。
空き缶など集め、一日足を棒にして1,000円に満たない収入で野宿生活をしていたそうです。
始めは公園でテントなどを張り生活していましたが、都市整備という名目でテントも撤去され、ビルの谷間などを転々としていたそうです。
そこで巡回相談に出会い、自立支援センターに入所することが出来、そこでヘルパーの資格を取得し、老人介護のグループホームで採用され、現在は完全に社会復帰しておられます。
その方がホームレス生活を送ったのが約半年。
ようやく巡回相談と出会い、自立支援センターの存在を知り、入所となり見事社会復帰を果たしました。
もし、自立支援センターという存在をもっとはやく知っていたら!
彼はそのように私に話をしてくれました。
春から秋だったので寒さに苦しむことは無かったようですが、季節が冬だったらとその方は考えるだけでも恐ろしいと話していました。
ホームレスの中には自立支援センターに入所するのを「自由がない」という理由で入所を拒むケースもあるようですが、大多数のホームレス達はただ存在を知らないという理由で未だにホームレス生活を続けている人も多く存在するという話です。
その一つの大きな要因が、公園などのテントの撤去とされています。
テントなどの分かりやすい場合、巡回相談員も探しやすいのですが、撤去後、そこにいたテント生活者達は、行政を恐れ役所という存在自体を恐れている傾向があるようです。
明石屋万吉こと小林佐兵衛は冒頭にも書きましたが幕末に福祉という概念が無かった時代、自費で助産院や職業訓練学校のようなものを建てた人物です。
残念ながら万吉自身も経済的な余裕が無くなり、そうした施設を閉鎖させざることを余儀なくされたのですが、彼が残した功績は今も福祉の思想に残されています。
司馬遼太郎著の「浪華遊侠伝 俄」という作品の最後のほうで一番の子分に時計修理を学ばせます。
そうした彼の行動は自身が幼少の頃、父が蒸発し、母と妹を養って行かないとならないという状況から生まれたものだと思います。
そうして彼は殴られ屋として賭場荒らしをはじめ、そこで得たお金をほとんど母に託します。
そして幕末の喧騒期には佐幕も勤皇もないと言い張り、「安全往来」をスローガンに当時の幕府派も反幕府派も関係なく助けます。
福祉の基本は人を助けるということではないでしょうか?
複雑な現代社会のあり方を論じるのも大事かと思いますが、人を助け、人の役に立つという単純なことが福祉の原点なのではないでしょうか?