段々と盛り上がって来ました!
大河ドラマ、龍馬伝ですが第18回の放送は勝 海舟の元に弟子入りした龍馬が海軍設立の為、奔走していました。
そして気になるのは武市半平太に迫る暗い影・・・
(ライターFT)
NHK大河ドラマ【龍馬伝】
武市半平太の影 5月11日は武市半平太の命日
やはり幕末は見ているこちらまで熱くなりますね。
先週の龍馬伝ですが、気になるのは土佐勤皇党党首の武市半平太ですね。
龍馬とは遠い親戚にあたり、龍馬が幼少の頃からの付き合い。
ここで武市先生の事をもう一度おさらいしておきましょう。
武市半平太(瑞山)詳しい記述はこちらになります。
来週の火曜日、5/11は武市先生の命日になり、瑞山神社で墓前祭が行われるようです。
武市が土佐勤皇党を立ち上げ、してきた攘夷活動は誰もが目を見張る活動だったと言えるのではないでしょうか?
武市の一番の誤算は藩主である山内容堂に心酔しきっていた事かも知れません。当時の侍なら誰しもがお殿様に命を捧げることは当たり前の時代でした。
武市の行動は当たり前でまじめ過ぎたのかも知れません。
山内容堂は下士に対しては、犬猫以下という気持ちを持っていました。
これもやはり土佐というお国柄なんでしょうが、こうした上下関係の厳しい国であると言うことをもう少し武市も計算していれば、これから起こる悲劇に繋がらなくても済んだのではと、考えても仕方ない事を考えてしまいます。
剣術、学問共に優秀だった武市 半平太ですが、妄信的な攘夷に対する感情と大殿である山内容堂に対する忠誠心がもう少し少なければという思いがどうしても拭いきれません。
それほど武市は魅力的な歴史上の人物と言えるのではないでしょうか?
吉田東洋と同じ考えである公武合体政策をしていれば、きっと彼は長く生き延びたのではと思います。
龍馬伝でも、その他の書籍などでも武市の事は非情な一面をメインに描かれている物が多いのですけど、実際は、妻であるお富さん(富子)を愛し、一度も浮気などしたことのない仲の良い夫婦だったそうです。
武市富子
土佐勤皇党の主要メンバーである吉村寅太郎などは武市に子供が出来ない事を心配し、富子を説得して実家に戻し、その間に女中を何人も武市邸に送り込み、世継ぎをと目論んだのだけど、武市は一切その容姿端麗な送り込まれた女中には手も触れなかったという。
しかも寅太郎の策略に気が付いた武市は寅太郎をしかり飛ばしたというエピソードも残っている。
吉村寅太郎
龍馬伝でも京都の公家と会談するために在京中の半平太は妻、富子に手紙などマメに送っていたという。
誠実で実直な性格の武市半平太、優しく生涯富子だけを愛した武市半平太、どうしても嫌いにはなれない、そんな気がしています。
第18回の放送でも最後あたりで、これから半平太の身に起こる出来事を示唆するような展開で締めくくられていましたが、これから武市半平太はもちろん、土佐勤皇党に降りかかる悪夢は避けようもない歴史の悲劇。
武市自身が招いた事なんですけど、これからの勤皇党の暗い影、悲しすぎる結末になります。
第19回は『攘夷決行』
ついに幕末の歴史が大きく動き始めます。
攘夷を決行するのですけど、実際に攘夷を行なったのは土佐藩ではなかったんです。
なぜなら土佐藩、藩主である山内 容堂は公武合体論者、簡単に言えば天皇と徳川の共存を求める考え。
では実際に攘夷を行なった藩はどこなんでしょう。
実は長州藩なんです。
長州は過激な思想を持った侍が多く、攘夷決行となるのですけど、この攘夷決行で後に日本は外国との戦力の差を思い知ることになるんです。
この攘夷決行を指揮したのが久坂玄瑞とされています。
龍馬伝でも龍馬に脱藩を勧めた人物ですね。
第18回でも幕府が公家達に攘夷決行はいつするかと詰め寄られるシーンがありましたが、実際はどの藩も決行には参加しなかったんです。
でもその約束を守った藩が長州藩だけだったんです。
下関海峡近くの田野浦に停泊中のアメリカ商船に砲撃、その後、フランス船やオランダ船にも攻撃するんですけど、実はこの外国船籍は商船だったのです。
商船なので大砲などは備えていません。
もちろんこのときは勝利と長州藩士達は歓喜の声を上げるのですけど、この後の馬関戦争で長州藩と、英 仏 蘭 米の列強四国に猛反撃を受けてしまいます。
下関戦争(しものせきせんそう)馬関戦争ともいう。
とにかくこれからの展開には目が離せません。
武市半平太と岡田以蔵との関係、激動の幕末、龍馬の行動、全てが動き出します。
目が離せませんね。
武市半平太を演じる大森南朋(オオモリナオ)プロフィールはこちら!
いい役者さんですね。見事に半平太役を演じています。
大河ドラマ、龍馬伝ですが第18回の放送は勝 海舟の元に弟子入りした龍馬が海軍設立の為、奔走していました。
そして気になるのは武市半平太に迫る暗い影・・・
(ライターFT)
NHK大河ドラマ【龍馬伝】
武市半平太の影 5月11日は武市半平太の命日
やはり幕末は見ているこちらまで熱くなりますね。
先週の龍馬伝ですが、気になるのは土佐勤皇党党首の武市半平太ですね。
龍馬とは遠い親戚にあたり、龍馬が幼少の頃からの付き合い。
ここで武市先生の事をもう一度おさらいしておきましょう。
武市半平太(瑞山)詳しい記述はこちらになります。
来週の火曜日、5/11は武市先生の命日になり、瑞山神社で墓前祭が行われるようです。
武市が土佐勤皇党を立ち上げ、してきた攘夷活動は誰もが目を見張る活動だったと言えるのではないでしょうか?
武市の一番の誤算は藩主である山内容堂に心酔しきっていた事かも知れません。当時の侍なら誰しもがお殿様に命を捧げることは当たり前の時代でした。
武市の行動は当たり前でまじめ過ぎたのかも知れません。
山内容堂は下士に対しては、犬猫以下という気持ちを持っていました。
これもやはり土佐というお国柄なんでしょうが、こうした上下関係の厳しい国であると言うことをもう少し武市も計算していれば、これから起こる悲劇に繋がらなくても済んだのではと、考えても仕方ない事を考えてしまいます。
剣術、学問共に優秀だった武市 半平太ですが、妄信的な攘夷に対する感情と大殿である山内容堂に対する忠誠心がもう少し少なければという思いがどうしても拭いきれません。
それほど武市は魅力的な歴史上の人物と言えるのではないでしょうか?
吉田東洋と同じ考えである公武合体政策をしていれば、きっと彼は長く生き延びたのではと思います。
龍馬伝でも、その他の書籍などでも武市の事は非情な一面をメインに描かれている物が多いのですけど、実際は、妻であるお富さん(富子)を愛し、一度も浮気などしたことのない仲の良い夫婦だったそうです。
武市富子
土佐勤皇党の主要メンバーである吉村寅太郎などは武市に子供が出来ない事を心配し、富子を説得して実家に戻し、その間に女中を何人も武市邸に送り込み、世継ぎをと目論んだのだけど、武市は一切その容姿端麗な送り込まれた女中には手も触れなかったという。
しかも寅太郎の策略に気が付いた武市は寅太郎をしかり飛ばしたというエピソードも残っている。
吉村寅太郎
龍馬伝でも京都の公家と会談するために在京中の半平太は妻、富子に手紙などマメに送っていたという。
誠実で実直な性格の武市半平太、優しく生涯富子だけを愛した武市半平太、どうしても嫌いにはなれない、そんな気がしています。
第18回の放送でも最後あたりで、これから半平太の身に起こる出来事を示唆するような展開で締めくくられていましたが、これから武市半平太はもちろん、土佐勤皇党に降りかかる悪夢は避けようもない歴史の悲劇。
武市自身が招いた事なんですけど、これからの勤皇党の暗い影、悲しすぎる結末になります。
第19回は『攘夷決行』
ついに幕末の歴史が大きく動き始めます。
攘夷を決行するのですけど、実際に攘夷を行なったのは土佐藩ではなかったんです。
なぜなら土佐藩、藩主である山内 容堂は公武合体論者、簡単に言えば天皇と徳川の共存を求める考え。
では実際に攘夷を行なった藩はどこなんでしょう。
実は長州藩なんです。
長州は過激な思想を持った侍が多く、攘夷決行となるのですけど、この攘夷決行で後に日本は外国との戦力の差を思い知ることになるんです。
この攘夷決行を指揮したのが久坂玄瑞とされています。
龍馬伝でも龍馬に脱藩を勧めた人物ですね。
第18回でも幕府が公家達に攘夷決行はいつするかと詰め寄られるシーンがありましたが、実際はどの藩も決行には参加しなかったんです。
でもその約束を守った藩が長州藩だけだったんです。
下関海峡近くの田野浦に停泊中のアメリカ商船に砲撃、その後、フランス船やオランダ船にも攻撃するんですけど、実はこの外国船籍は商船だったのです。
商船なので大砲などは備えていません。
もちろんこのときは勝利と長州藩士達は歓喜の声を上げるのですけど、この後の馬関戦争で長州藩と、英 仏 蘭 米の列強四国に猛反撃を受けてしまいます。
下関戦争(しものせきせんそう)馬関戦争ともいう。
とにかくこれからの展開には目が離せません。
武市半平太と岡田以蔵との関係、激動の幕末、龍馬の行動、全てが動き出します。
目が離せませんね。
武市半平太を演じる大森南朋(オオモリナオ)プロフィールはこちら!
いい役者さんですね。見事に半平太役を演じています。