人間としての完成系 「老いる」「死」 :: デイリーSKIN

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[2015年10月19日00時00分00秒]
人間としての完成系 「老いる」「死」

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 老いるということは人間として完成してゆくということ。でもどうせなら美しく完成したい。

(ライターFT)

人間としての完成系 「老いる」「死」




 誰もが避けられない「老い」と「死」。

 この二つに共通して言える事は「恐怖」ではないでしょうか?誰もが生まれ、青春を謳歌し、子供を育て老いて行く。そして最後は「死」を迎えて人生の幕を閉じる。その先に何かがあるのかは分からないけど、今の所人生の最後は「死」ということになる。不慮の死を遂げないで人生を全うすることが良いのか悪いのかも私には分からない。でも、きっと人生の完成系は「死」なんだろう。そして「死」と同じように避けられない事は「生きる」ということなのでしょう。

 では人生の完成系である「死」、私達にも訪れる死、どうせなら美しく死にたい。どうすれば美しく歳を重ね、美しい死を迎えることが出来るのだろうか。

 美しく死ぬということは、美しく生きるという事ではないのか?

 がむしゃらに生きる事が良いのか、別の方法が良いのかはそれぞれの問題。要は自分が後悔しないように生きるのがベストだろう。こう書いてしまうと、話はここで終わってしまうのでもう少し広げてみたい(笑

 ガンに犯され、科学治療で生きる事を選び病気と闘うというのも、美しいと言える。その反対で生きている内にしておきたかった事をやり遂げ、生きることも美しい。死に正解なんてない。ガンと戦い身も心もボロボロになり死んで行くのも美しい、戦わずに死を受け入れ出来なかったことをやり遂げて満足するのも美しい。もし私がガンになり余命少なくなったら、どちらを選ぶのだろう。全く分からない。

 人はそうした選択に迫られることが人生では多くある。

美しく死ぬということ。

 上記リンクにはキャンディーズのスーちゃんが亡くなった時に流された音声のことを問題提起している。中々深い話である。スーちゃんが活字でなく、なぜ音声(肉声)だったのか?あんなに弱々しいスーちゃんの肉声はあまりにも残酷。でも病気と戦いボロボロになりペインコントロールでモルヒネで朦朧とした意識の中での肉声、死とはこういうものだと強く感じさせてくれた一瞬でもある。私はスーちゃんの肉声を聴き、悲しいと感じたけど、最後まで肉声に拘ったスーちゃんに対し、一種の愛おしさを感じた。死んでしまった後だけど、死なないで欲しいと思った。

 自分から見た「美しい死」なのか他人から見た「美しい死」なのかは永遠のテーマのように思う。

 私にはまだ答えなんてない。

 でもどうせ生きるなら、美しく生きて、美し死にたい。

 私の今は美しはないけれど(笑











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