松本人志は映画監督としてどうなのか? :: デイリーSKIN

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[2014年11月18日00時00分00秒]
松本人志は映画監督としてどうなのか?

映画を酷評される松本人志、苦悩明かす

 ダウンタウン松本人志ことまっちゃん、大ファンなんです。

 彼の笑いのセンスが大好きでデビュー当時から、現在まで彼らの番組は、無意識にチャンネルを合わせてしまいます。

(ライターFT)

松本人志は映画監督としてどうなのか?




 まっちゃんの映画コンセプトがよく理解できない。映画監督デビューの「大日本人」を見た時、はっきりいって寝てしまいました。

 ニュースでまっちゃんは

 「アートって誰もやっていないことの見つけ合い、さらに笑いを融合したいオレは、そりゃ大変だ」

 こんなコメントをツイッターでつぶやいていたそうな。

 アートとお笑いの融合、まっちゃんのお笑いとアートの融合は非常に一般人と理解しにくい。

 音楽でも何でもそうだけど、興行収入を意識した作りにしないと、世間では理解してもらえない。アートや音楽なんてもんは、作り手の中での葛藤が常に生まれる。自分がいいと思った映画でも「売れる傾向と対策」を施さないと一般人は絶対に理解出来ない。

 音楽でも、歌詞やメロディーが売れる傾向の曲調でないと売れない。

 クラッシックの新曲が何百万枚も売れないのはこうした理由である。



 たけし監督はうまく「傾向と大作を」映画に乗っけている。それをしながら、北野ブルーと呼ばれる独特のカラーを映画の中で表現したり、たけし独特の暴力描写を絡め、映画で表現している。

 まっちゃんが映画で成功したいなら、売れる「傾向と対策」を前提に考えて映画製作しないとならない。天才はみなこれをしようという意識が少ない。

 まっちゃんがお笑いでやってきた革命は、売れたいなどと考えてやってきたことがないのであろう。だから作る映画でも、売れる「傾向と対策」を考えていない。結果、酷評に繋がる。だって私だって理解し難い内容だ。

 「売れる」という前提の規制の中で映画を作るべきなのだ。まずは売れないと彼の天才は死んでしまうような気がする。

 芸術家やミュージシャンは常にこの狭間でもがき苦しんでいる。

 まっちゃんももがいているのだ。












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